加藤弘之の生家(豊岡市・旧出石町)
東京大学の創設に力を尽くした加藤弘之の生家
2014年02月15日
近代日本の先覚思想家で東京帝国大学の初代総理(総長)となった加藤弘之は、天保7(1836)年出石藩士加藤四郎兵衛正照の長男として生まれ、幼時藩校弘道館に学び、17歳の時江戸勤務となった父に従って佐久間象山の門に入りました。
その後、西洋兵学や蘭学に加え、英、仏、独の語学を修めて西洋思想の啓蒙に活躍しました。
幕末には東京大学の前身である蕃書調所勤務をきっかけに、日本の教育行政に大きな足跡を残しました。
東京大学は、蛮書和解御用、蕃書調所、洋書調所、開成所、開成学校などを経て、明治10(1877)年に東京開成学校となり、同じ年に東京医学校と合併し誕生しました。加藤は、明治4(1871)年に文部省が発足すると政府高官の厚い信頼を得て、事務方のトップ(現在の事務次官)になりました。
加藤は、より高度な専門教育機関の重要性を説き、東京大学創設に大きく貢献しました。そして、東京大学法学部、理学部、文学部各三学部の綜理に任じられます。明治14(1881)年に加藤を中心にし、大学職制の改正が進み、それまで別組織であった医学部が統合し、日本初の総合大学が誕生し、加藤は三学部の綜理から東京大学の初代綜理になりました。
東大総理約9年と帝国大学総長約3年と東大初期の立ち上がりに大きく貢献し、加藤は東京大学のまさに産みの親といえる人です。
主な著書に日本で最初の立憲体制を論じた「隣草(となりぐさ)」などがあります。
生家であるこの家は、屋根、外観等は改修されていますが、敷地と建物は当時のままで、出石町(現:豊岡市)指定文化財に指定されています。
(現地説明板、リーフレットより)
開館時間 午前10時から午後3時
開館日 日曜・祝日のみ開館 (12月28日~1月4日までは休館)
入館料 無料
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ(写真上)
Photo SONY NEX-7(写真下)
H26.1.13
住所: 兵庫県豊岡市出石町下谷10-1
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