妙興寺(瀬戸内市・旧長船町)
黒田高政と重隆及び宇喜多興家の墓碑がある妙興寺
2014年03月03日

妙興寺は山号は教意山、日蓮宗の寺院です。
室町時代に播州からこのあたりまで勢力を持っていた播磨の国主・赤松則興の追善供養の為に応永10(1403)年大教阿闍梨日伝上人によって建立せられました。
その後歴代の佳持として近隣一帯の武家の名門の子弟が迎えられました。
戦国のころは寺域は二町余十坊一院あり豪壮を誇り備前法華の中心道場として重きをなしました。永禄元(1558)年頃には寺域二町十坊一院とその豪壮をうたわれていましたが、享保元(1716)年、伽藍の大半を消失したため、現在の諸堂は昔日の面影を伝えるものではありません。
現在の本殿及び客殿は、安永3(1774)年に改築されたものです。
寛永3(1626)年に制作された仁王像は平成24(2012)年に修復され、当時の趣を再現しています。
境内に黒田高政と重隆(官兵衛孝高の曾祖父と祖父)及び宇喜多興家(直家の父)墓碑があります。
宇喜多能家(砥石城主)は、天文3(1534)年、同じ浦上家の重臣である島村豊後守(高取山城主)の奇襲を受けて城を枕に自害しました。子の興家は、当時6歳の八郎(後の直家)を連れて備後の鞆に落ちのびたが、まもなく備前福岡に戻り豪商阿部善定のもとに身を寄せました。
興家は、やがて善定の娘との間に二児(後の忠家・春家)をもうけましたが、不遇のうちに天文5(1536)年この地で病死しました。法名を霜月光珍といいます。八郎は、阿部善定や尼となっていた叔母(下笠加大楽院)の保護のもとに、少年時代をこの地で過ごしました。
黒田氏の祖宗清は、近江国伊香郡黒田邑に住していました。宗清五世の孫高政は永正8(1511)年当地福岡に移住し、十数年を過ごしています。
高政は大永3(1522)年にこの地で亡くなりましたが、その翌年重隆には嫡子職隆が誕生しています。
重隆は、大永5(1525)年、家族を連れて播州に移住しました。その後御着城主小寺氏に仕官した重隆はその器量を認められて播州姫路城を預かっています。
職隆、そして姫路城で生まれた子の官兵衛孝高と相次いで姫路城主となっていますがこの播州時代にその後の黒田家発展の基礎づくりができました。
官兵衛孝高の長男長政は関ヶ原の戦いで徳川家康に味方して勝利し、筑前52万石に封ぜられ城を築いて福岡城と命名しました。これは父祖の生活の地で墓もある備前福岡を偲んでこの地名を用いたといいます。
この黒田墓所には現在も各地から多くの参詣者があります。
(現地説明板などより)
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」第26回「長政初陣」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.2.16
住所: 岡山県瀬戸内市長船町福岡684
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