崇禅寺(大阪市東淀川区)
足利義教、細川ガラシャの墓がある崇禅寺
2014年03月06日
崇禅寺は山号は凌雲山、曹洞宗の寺院です。
天平年間(729~748年)に法相宗の行基によって創建されたと伝えられています。
嘉吉元(1441)年、室町幕府6代将軍足利義教は嘉吉の乱で赤松満祐に暗殺され、義教の首級を携えて播磨へ下る途中に崇禅寺森の観音堂付近にその首を埋めました。
翌年、幕府はその地に菩提を弔うため、細川持賢に崇禅寺を再興させ、曹洞宗の寺院となり細川家の菩提寺となりました。
その後、文明15(1483)年に焼失し、慶安年間に再建されました。
明治2(1869)年には摂津県の県庁が置かれました。
昭和20(1945)年6月7日、大阪大空襲により焼失し、現在の伽藍は平成元(1989)年に再建されたものです。
境内には「細川ガラシャの墓」があります。
ガラシャは細川忠興の妻で、慶長5(1600年)に家康に従って奥州の上杉攻めに参加し、その留守を見計らって石田三成が挙兵し、妻子を人質として大坂城に入城するように促しましたが、ガラシャはそれを堅く拒み、火の付いた屋敷内で37年の生涯を終えました。宣教師オルガンチノは細川屋敷跡からガラシャや殉死者の遺骨を拾い、細川家にゆかりのある崇禅寺に運びました。
ガラシヤの墓は無地の五輪塔で「秀林院細川玉子之墓」の石標が建っています。周りには6つの墓石があり、これは殉死者のものといわれています。足利義教の墓とならんでいます。その他、崇禅寺馬場の敵討で反り討ちにあった遠城兄弟の墓があります。
Photo SONY NEX-7
H26.2.22
住所: 大阪府大阪市東淀川区東中島5丁目27−44
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