松ヶ瀬(西脇市・旧黒田庄町)
黒田官兵衛と母の悲しい別れの伝説が残る松ヶ瀬
2014年03月10日
松ヶ瀬は、多田城落城の際、幼い官兵衛と母・於松は加古川を渡って逃げましたが、母は増水した川で溺死したという伝説があります。
母の名にちなんでこの地を「松ヶ瀬」といいます。
新中橋からは全景が、国道175号沿い、居酒屋「松ヶ瀬」の道路向かい側の土手には現地説明板があります。
現地説明板には下記の通り記されています。
天明4(1784)福岡黒田藩、中村平市と小寺家菩提寺心光寺の僧入誉(にゅうよ)は心光寺の古記録に残る「小寺官兵衛は多可郡黒田村の産なり・・・・」との古記録に基づいてこの黒田へ現地調査に訪れました。
そのとき地元古老が二人に伝えた伝承によると、年号はわからないが9月5日の夜、河西郡野間谷の領主中野間伊賀守政広という人が、多可郡黒田村多田の城を夜の闇にまぎれて襲ってきました。
この時多田の城主はまだ幼く、時悪く、城内に居る家来も少なく劣勢であったため、家老何某が幼君をだきかかえ、ご母堂の手をとって夜中に滝野川(加古川)をわたり姫山の城(姫路城)をめざして落ちてゆこうとしました。
ところが水勢強く流れるところで、ご母堂はついに流されて溺死流失され、そのところを今も「松が瀬」といいます。
松が瀬というのはご母堂の名を「於松」殿又「松の前」とお呼びしたためであります。
一方、幼主は家老が守り、無事に姫山の城まで落ち延び成長、これが黒田官兵衛というお方です。
その頃の姫山城には小寺美濃守殿が居城なさっていたと今もって言い伝わっています。
「播磨国飾東郡妻鹿村御塔之記」(福岡県立図書館蔵)より
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.3.4
住所: 兵庫県西脇市黒田庄町田高
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