江田島八幡宮(江田島市)
江田島の総氏神・江田島八幡宮
2014年03月18日

江田島八幡宮は、江田島の開島(約1000年前と推定)と共に島の総氏神として鎮座しました。
108の石段を登ると石の鳥居の正面に森に囲まれた拝殿が見え、江田島神宮近くの林道からは、旧海軍兵学校の全景が望まれます。
江戸時代には江田島の割庄屋があった為、島と共に神社も栄え、享保12(1728)年には安芸藩主浅野吉長が参拝し、安永4(1766)年には藩主の弟である浅野友之助が参拝されました。
明治21(1888)年にはこの地に日本海軍兵学校が開校されると共に、一躍日本の江田島として有名になり、神社も海軍将兵等の心のよりどころとして崇敬され、大正13(1924)年には高松宮殿下参拝、幣帛料の供進があり、終戦後は海上自衛隊幹部候補生学校、第1術科学校として開校されて今日に至っています。
江田島八幡宮も江田島の総氏神として、また全国からの参拝者によって栄えてきました。昔を物語るもので現存するものには、元和2(1614)年2月6日の御社殿再建時の棟札をはじめ他に20数枚の棟札が現存し、平安期から鎌倉期のもので、使用されていた土師器系統のカワラケ(祭器)3器が境内より出土し、鎮座時期や開島時期など推定されました。
また,境内には古鷹神社(旧・御鷹神社)が合祀されています。
伝説によると、舟が江田島の近くを航海している時、海が時化て船頭が困っていると、鷹が飛んできて波静かな海に導くことで船頭が安堵し、それを見届けた鷹は小高い山に飛び去り、その山を古鷹山と呼ぶようになりました。島民は、古鷹山頂上に島の守り神として神社を創建しました。これが、御鷹神社の始まりと謂われております。その後切串沖を通る舟が古鷹山に近づいたときは、神様に敬意を表す為に舟の帆を降ろしていましたが、これは大変だということで、麓の小高い丘(後の八方園)に移しました。
明治19(1886)年7月海軍兵学校の移転工事による買収に伴い御鷹神社は江田島八幡神社(現江田島八幡宮)に預けられ、明治22(1889)年中郷区山ノカミに移転、その後の祭礼の夜火災により社殿を焼失し、再び江田島八幡宮に合祀されました。
御鷹神社は、関係者の真心と七年余の努力により、平成18(2006)年この地に「古鷹神社」として再建されました。
なお、旧御鷹神社の跡地は、海軍兵学校移転後、庭園となっていました。昭和3(1928)年11月23日昭和天皇御大典記念として、八方園神社が旧海軍により同庭園に創建されましたが、昭和20(1945)年8月太平洋戦争の終戦に伴い進駐軍の手に渡ることを恐れ旧海軍により取り除かれました
Photo SONY NEX-7(写真上)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ(写真下)
H26.3.15
住所: 広島県江田島市江田島町中央4丁目1−30
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