大龍寺(会津若松市)
新島八重の実家山本家の墓所などがある大龍寺
2014年05月16日
大龍寺は、山号は宝雲山、臨済宗妙心寺派の寺院です。
天正年間、小笠原長時によって創建された桂山寺がこの地にありました。
寛永20(1643)年に保科正之が会津に移封された際のお供寺として、正之に従い会津にやってきた機外禅師が桂山寺の地を拝領し開山しました。
また、藩士の家中寺として百石の寄進を受け京都の高雄、嵐山より紅葉を移植し「大龍寺のかえで」として名をなしています。本堂の裏には御薬園の作庭者でもある目黒浄定作の心字庭園があり、モリアオガエルの生息地としても知られています。
堂宇は戊辰戦争の際に難を逃れ、江戸時代初期の建築様式を残しています。松平容保の嫡子、容大の出生の地としても知られています。
境内には小笠原長時、蒲生氏郷の生母成願寺殿、鳥羽伏見の戦いで戦死した会津藩士林権助安定と孫の男爵林権助、会津の算学者安藤有益の墓があります。
そして、新島八重の実家で会津藩士山本家の墓所があります。大龍寺の過去帳によると文化年間(1804〜1817)から、山本家は八重の高祖父の時代から、このお寺を菩提寺としていました。
新島八重は昭和6(1931)年点在していた山本家の墓を1ヶ所に整備してこの墓所を建立しました。
墓所の題字は新島八重の直筆で墓標の裏には「昭和六年九月合葬 山本権八女 京都住 新島八重子建之 八十七才」と記されています。これを建立した翌年の昭和7(1932)年に、八重は88年の生涯を閉じます。
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.2
住所: 福島県会津若松市慶山2丁目7-23
関連リンク
タグ
地図
関連情報