戸ノ口原古戦場跡〔白虎隊奮戦の地〕(会津若松市・旧河東町)
白虎隊奮戦の地・戸ノ口原古戦場跡
2014年05月27日
慶応4(1868)年8月22日、母成峠の藩境を突破した西軍は、怒涛のごとく猪苗代湖畔の要衝「戸ノ口十六橋」に殺到しこれを占拠しました。
また、別働隊は湖を渡り笹山への襲撃に成功し、この両面作戦で挟み撃ちを受けた会津藩守備隊は苦戦を強いられました。
急きょ、松平容保公警護の白虎隊士中二番隊が滝沢本陣より派遣されましたが、会津藩守備隊に対し、数倍の兵力と優れた性能の武器を持つ西軍は優勢に戦いをすすめました。
戸ノ口原で展開された戦闘では孤立無援となり、散り果てた藩士も多く、派遣された白虎隊士中二番隊は藩主に復命するため後退し、そのうち20名は弁天洞穴をくぐり、飯盛山へたどり着きました。
土佐の人結城治氏が、会津の人々の協力を得て、昭和33(1958)年、両軍兵士98士の供養塔が建立されました。
また、古戦場跡には夜泣き石があります。
芦名時代、事情あって捨て子にされた子どもが、夜中に呼び寄せられ喰い殺されようとした時、夜明けまで大きな石がしっかりと子供の足をおさえて魔物に喰い殺されるのを防いだといわれています。
今でも子供の左足型のようなものが残っています。また、夜泣きする子をおぶって、ここへお参りすると夜泣きがぴたりと止まるという噂が立ち、多くの母親が子供を連れてお参りしました。
それ以来 「夜泣き石」と呼ばれています。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.3
住所: 福島県会津若松市河東町八田大野原
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