長福寺(喜多方市)
佐川官兵衛夫妻の墓がある長福寺
2014年05月29日
長福寺は、山号は飯島山、浄土宗の寺院です。
天福元(1233)年飯島筑後守開基、密侶看信が開山です。
慶長17(1612)年若松徒之町一乗寺の僧良讃が再興して浄土宗となりました。
慶応4(1868)年、廿四世良得上人が遷化された後無住となっております。本堂・庫裏合わせて42坪の大きさでしたが、老朽化が進んだため、昭和56(1981)年現在の堂宇に再建されました。本尊は阿弥陀如来です。
明治元(1868)年、戊辰戦争終結の後、会津藩士は東京と高田に謹慎させられ、その家族の老幼婦女子は、城下の混乱を避けてこの地方に避難しました。その時この寺もその住まいとして使用されました。
ここには「鬼官兵衛」と政府軍に恐れられた佐川官兵衛とその妻の墓があります。
佐川官兵衛の家族はこの寺に移り住んでいました。官兵衛は明治10(1877)年の西南の役に従軍して、阿蘇山中で壮烈な戦死をとげましたが、本籍地は「大都村」となっております。この寺を本籍地にしたのかもしれません。官兵衛は西南戦争で戦死した熊本の阿蘇に葬られましたが、近年、阿蘇の官兵衛の墓の土をこの寺にある官兵衛の妻の隣に持ってきて、夫婦ならんで墓が建てられました。
社会福祉の先駆者として著名な瓜生岩子は、小田付の幼学校跡が手狭になったため、明治12(1879)年、この寺を借り受け、貧困者を住まわせ仕事を世話し、また「裁縫教授所」を開設して近隣の農家の娘に、裁縫や礼儀作法を教え、僧侶の法話などを聞かせ教育しました。
明治20(1887)年、福島に出る迄の8年間、村の人々の協力を得て事業を進めました。岩子が会津だけでなく広くその事業の必要性を痛感し、県都での活躍を計画したのは長福寺でした。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅡ
H26.5.3
住所: 福島県喜多方市岩月町大都前田252
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