寛永寺(台東区)
徳川将軍家の菩提寺で東の「叡山」・東叡山寛永寺
2006年04月03日
寛永寺は山号は東叡山、東叡山寛永寺円頓院と号する元和8(1622)年、徳川幕府2代将軍秀忠が、上野の地を天台宗の僧天海に寄進したことから、寛永寺の歴史は始まります。
本坊は寛永2(1625)年に竣工。根本中堂の完成は元禄11(1698)年のことです。
江戸末期までの寛永寺は、いまの上野公園をはじめ、その周辺にも堂塔伽藍や子院が立ち並ぶ文字通りの巨利であり、徳川将軍ゆかりの寺にふさわしい威容を誇っていました。
慶応4(1868)年明治維新の際の上野戦争で大半が炎上し、その後明治政府の命令で境内も大幅に縮小され(約3万坪、江戸時代の10分の1ほど)現在に至っています。
旧本堂(根本中堂)は、現在の東京国立博物館前の噴水池あたりにありましたが、彰義隊の兵火で焼失し、明治9(1876)年から明治12(1879)年にかけて、埼玉県川越市の喜多院の本地堂が移築され、寛永寺の本堂になりました。寛永15(1638)年の建造といわれています。
(現地説明板などより)
徳川将軍家の菩提寺で徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠っています。現在は上野公園の北東側にひっそりとありますが、彰義隊の戦いで焼失するまでは上野公園全域が寛永寺だったので、いかに大寺院であったかがわかります。ここは江戸の鬼門にあたることから、京都の鬼門を守る比叡山延暦寺の徳川家版ということがいえるでしょう。
西の叡山に対し「東叡山」寛永寺と名乗り代々の山主に皇室から親王を迎えていたことからも、幕府創設当初の徳川家の天皇家に対する対抗意識が垣間見えます。
H10.6.8
Photo Canon EOS M3
H27.8.23(写真差し替え)
住所: 東京都台東区上野桜木一丁目14番11号
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