野田城(大阪市福島区)
三好三人衆が立て籠もった野田城
2014年06月22日
野田城は享禄4(1531)年頃に浦上村宗によって築かれ、後に畿内一円に勢威をふるった三好一党が改築したのではないかと推測されています。
元亀元(1570)年、織田信長は、石山本願寺を攻め10年にもおよぶ石山合戦が始まりました。
天正4(1576)年、石山本願寺を包囲した織田軍に対し、石山本願寺と同盟を結ぶ三好一党は、野田城に立てこもり織田軍と戦いましたが、落城しました。
天正6(1578)年、木津川口の戦いで毛利水軍と戦う織田軍の重要な拠点になりましたが、都市化により遺構は残っていません。
明治の初め、「弓場」「城之内」などという地名が玉川付近に残されていたことからも、このあたりに野田城があったのではないかと推測されています。
城域は、北は玉川四丁目交差点(旧名城の内)より東は恵比須神社の東側(旧名弓の町)迄といわれていています。
極楽寺の門前と玉川4丁目11番地交差点付近の2つに石碑が建ってます。
極楽寺は、天文2(1533)年8月9日に野田城を訪れた本願寺第十世証如上人が、六角定頼に包囲されたときに、蓮如上人の教化を受けていた野田福島の念仏者が証如上人を守護せんとして、二十一人が殉教され、これらの討死衆の菩提寺として建立されたのが寺院です。本願寺南御堂の掛所となり、野田御坊と名付けられ今日に至っています。
みんからマップ(石碑1)
リンク(石碑2・極楽寺門前)
Photo Canon PowerShot S110
H26.5.17
住所: 大阪府大阪市福島区玉川4丁目11-15、3-7
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