飯野城(えびの市)
飯野城(亀城)は永暦元(1160)年に日下部重貞が入城し、康永4(1345)年には北原兼幸が、永祿7(1564)年には島津義弘が城主となりました。
元和元(1615)年一国一城令によって廃城になるまでの間、真幸院の領主の居城として繁栄していました。
飯野城が有名なのは、島津義弘が26年間にわたり居城としたことにあります。
島津義弘は、島津15代貴久の男兄弟4人の次男として、天文4(1535)年7月23日 薩摩の伊作城(日置市吹上町)に生まれました。
少年期より、加世田の祖父 日新公の元に通い、文武の道を錬磨し、特に中国伝来の軍法の道を究めました。
天文23(1554)年、姶良の岩剣城の戦いで初陣を飾りました。
義弘は貴久の命を受け、永祿7(1564)年精兵60人を率いて加世田をたち、11月飯野城に入りました。
小田村の久藤城を修築し、新城を加えて加久藤城と改称し、広瀬夫人を置きました。
義弘は、飯野城に30歳から56歳までの26年間居城し、数々の合戦に出陣しました。
元亀3(1572)年5月4日、木崎原合戦で、義弘は伊東義祐の軍勢に大勝し、天正6(1578)年、兄義久らと高城合戦(児湯郡木城町)で豊後の大友宗麟の大軍を破りました。勢いに乗った島津軍は、肥後の相良義陽、肥前の竜造寺隆信らの軍を次々と破り、九州をほぼ制覇しました。
天正18(1590)年6月、義弘は栗野の松尾城に移りました。元和5(1619)年7月21日、義弘は加治木屋形で生涯を閉じました。 享年85歳、法名は松齢自貞庵主です。
飯野城は、飯野一帯を眺望できる断崖と深い谷に囲まれた要害の地に立地しています。
丘陵頂部は平坦に造成され、本丸や二の丸・三の丸・物見曲輪などを備えた強固な山城となっていました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.19
住所: 宮崎県えびの市原田
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