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木崎原古戦場(えびの市)

「南九州の関ヶ原の戦い」ともいわれる島津氏と伊東氏の合戦・木崎原古戦場跡
2014年08月10日
カテゴリ : 宮崎県 > 観光 > 建物・史跡
木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)は、元亀3(1572)年、日向国真幸院木崎原において伊東義祐と島津義弘の間でおこなわれた合戦です。
なお「木崎原合戦」とは島津側の呼び方で、伊東側では「覚頭(加久藤)合戦」とされています。
元亀3(1572)年5月3日夜、三ツ山城(小林市)を出発した伊東軍3000余人は2軍に別れ、4日未明、まず一軍が加久藤城を攻め落とそうとしたが失敗し、この木崎原の地に還り、鳥越城に布陣した後続軍と合流しました。
しかし、眼前の島津軍劣勢との判断から決戦の機会を失い、この間に敵襲のノロシにより吉田、馬関田、吉松郷および北薩の各地から急ぎ集まった島津軍に包囲され、一大激戦を交えた古戦場跡です。
島津・伊東両氏は、この一戦を境として、その後、島津氏は三州制圧の夢を果たし、一方 伊東氏は居城都於郡を追われ衰退の一途をたどるという両氏の明暗を分けた一戦であったため、古来世に「南九州の関ヶ原の戦い」といわれています。
敷地内には、平成3(1991)年5月4日に建立された「木崎原古戦場跡碑」の他、「三角田」「六地蔵塔」「腰掛石」「島津義弘公歌碑」などがあります。
「三角田」は、木崎原合戦の時、伊東軍と島津軍が一進一退の激戦を繰り返したところで島津義弘が伊東の将、伊東進次郎を槍で突き伏せ、また、敵中深く進みすぎた島津義弘を退かせるために盾となって久留半五左衛門、遠矢下総守、富永刑部、野田越中坊、鎌田大炊之介、曽木播磨の6重臣が討死したのもこの場所でもあります。
「六地蔵塔」は5月4日の1日だけで伊東軍560余人、島津軍260余人の戦死者がでましたが、敵味方双方の霊を供養するため島津義弘が建立したものです。
島津氏は、大きな戦いの跡地には殆ど六地蔵塔を建立して供養しています。
「腰掛石」は、伊東新次郎との一騎討ちで勝利を得た島津義弘が腰を掛けて一時休息したといわれています。
「島津義弘公歌碑」は 「いそぐなよ また急ぐなよ 世の中の 定まる風の 吹かぬかぎりは」と刻まれています。
この歌は関ヶ原合戦の折に詠まれたものです。
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.7.19

住所: 宮崎県えびの市池島

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