鏡神社(奈良市)
鏡神社は、天照皇大神、藤原広嗣公、地主神を祭神とする神社です。
藤原広嗣公は、式部卿左大臣宇合の長男で、母は右大臣石川麻呂の娘でした。従五位大倭守、右近衛少将を経て、天平10(738)年大宰少弐に任ぜられました。
この頃、橘諸兄が右大臣、僧玄昉と吉備真備が朝廷の要職に登用され勢力を得ていました
天平12(740)年、災いの起こる悪い政治の原因は、玄昉や真備にあるとして、上表文を天皇に送りましたが、朝廷は謀反と断定し、官軍の攻撃を受けることになりました。
9月、広嗣公はやむなく兵を集めて遠賀郡に軍を構え、大野東人が率いる官軍と10月上旬、広嗣軍は官軍と筑後板櫃川に戦い、たちまち破られ肥前長野村にて捕えられ、松浦郡にて討たれました その後僧玄昉は天平17(745)年筑紫に配せられましたが、観世音寺落成式に臨んだ時、急死しました。世の人はこれを広嗣公の祟りとし、真備もまた孝謙天皇が即位してから肥前に左遷されました。
この左遷に際し、広嗣公の霊を祀り鏡尊廟(現唐津市の鏡神社)を建てて崇められました。かの頭塔伝説においては、玄昉が築紫に急死するやその遺体は奈良の地に飛散して、興福寺の境内に落ち、首は頭塔(ずとう)山に、腕は肘塚町(かいなちょう)に、眉と眼は大豆山町(まめやまちょう)に飛来したとの口碑が伝えられています。
鏡神社の現社地は広嗣公の邸宅跡との伝えもありますすが、大同元(806)年新薬師寺復興の際、その鎮守神としてここに勧請されました。
現在の本殿は、延享3(1746)年、春日大社第四十七次御造営の際に、第三殿を賜ったものです。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.9.3
住所: 奈良県奈良市高畑町468番地
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