垂裕神社(朝倉市・旧甘木市)
秋月藩租黒田長興を主祭神とする神社・垂裕神社
2014年09月23日
垂裕神社(すいようじんじゃ)は、垂裕大明神である秋月黒田藩初代藩主・黒田長興公を奉祀する神社です。
黒田長興公は、福岡藩祖黒田長政の三男として生まれ、幼年より温厚沈毅にして、英明の誉れ高く、父長政公に愛されていました。
寛永元(1624)年、14歳の時、秋月黒田藩5万石の城主として入府しました。
寛永15(1638)年、28歳の時におきた島原の乱に際しては、幕命に従って諸藩とともに出陣し、原城本丸攻略などに大きく戦功をあげました。
安政6(1859)年、東陽院殿(長興公)の200年祭典挙行にあたり、時の10代藩主・長元公(土佐山内家より養子)は、藩祖を祭神と仰ぎ、永く敬神酬恩し奉らんと勧請し、神号垂裕大明神を授賜されました。
明治6(1873)年、この神社造営にあたっては、台地を開き道を造り、旧御館裏の空谷杉や、入府当時に植樹した大余の老松が用いられました。又、坂道の石段は士族の老若男女が総出でつくった故に、士族坂と呼ばれています。爾来、祭神の英明にあやからんと遠近から参拝者が多く、崇拝の社となっています。
時が移り、明治22(1947)年に歴代藩主、島原の乱以降の秋月の乱、佐賀の乱、熊本神風連の乱、福岡の乱、西南戦争などに没した志士、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争などの戦没者、秋月町財政の功労者などの御霊が合祀されました。
参道の黒門は、秋月氏時代(1203~1587)の古処山城の搦手門であったものを、長興公の秋月城築城の際に大手門とし、明治になって現在地に移されたものです。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.9.14
住所: 福岡県朝倉市秋月野鳥666
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