圓應寺(福岡市中央区)
黒田如水の夫人光姫(照福院殿)が創立した圓應寺
2015年01月21日
圓應寺は慶長7(1602)年4月、黒田如水の夫人光姫(照福院殿)が創立した浄土宗の寺院です。
阿弥陀信仰者であった光姫は、息子長政が治める福岡城と、次男熊之助が亡くなった玄界灘がよく見渡せる大手門前に、黒田家の菩提寺として圓應寺を宇検しました。
開基は天蓮社眞譽上人見道和尚です
最愛の夫、如水が亡くなった後に光姫は出家し、照福院殿となりました。
照福院殿は播州志方城主櫛橋豊後守伊定の娘で天文22(1552)年に生まれ、永禄21(1566)年16才で黒田官兵衛孝高に嫁かし長政を生みました。
戦国時代の武将の妻らしく前半生は波乱に満ちたものだったといわれています。
寛永4(1627)年8月26日、75才で福岡城で亡くなりました。圓應寺は福岡を見守り照らすという夫人の思いを忘れることのないよう、「照福山」を追号し、「照福山顕光院圓應寺」と称しています。
黒田藩との関係から、孝高(如水)からは本尊阿弥陀如来像(快慶作)、長政からは月俸及び白銀、忠之から知行百石、 継高からは早良郡七隈村に二万二千坪の土地を拝領しました。
大手門前から海岸までの広大な寺領を持つ寺院で、照福院殿の墓碑や遺髪、肖像画や黒田家ゆかりの墓碑などがありましたが、昭和20(1945)年の戦災に遭い、戦後の都市計画で墓地が道路と公園にかかったので照福院殿の墓は崇福寺に移されました。
寺内には昭和55(1980)年に建立された供養塔があります。
墓地は冨禄武家の墓が多く、黒田節の作詞をした国学者二川相近、更には国士無双といわれた玄洋社 頭山満翁の墓もあります。黒田二十四騎では野口左助一成、桐山丹波守、久野四兵衛重勝、小河伝右衛門信章の菩提寺です
寺宝として弁財天一体、大黒天一体があります。弁財天は弘法大師(空海)の直作で、大黒天は伝教大師(最澄)一刀三礼の彫刻といいます。
現在の本堂、納骨堂等の伽藍は昭和54(1979)年の建立です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.12.28
住所: 福岡県福岡市中央区大手門3-1-7
関連リンク
タグ
地図
関連情報