弓削神社(内子町)
屋根付きの風雅な橋が印象的な弓削神社
2015年03月27日
弓削神社は、応永3(1396)年に、中世伊予国の豪族といわれた河野通直の子孫で、河野宋賢が創建したと伝えられています。
弓削神社は、河野一族の城主が石畳を離れる際に、天山城(中山町永木)の南にあたるこの地に神社を創建し、河野家先代の総支配下にあり、海の要塞であった弓削島・弓削神社から、「天照皇大神・天日鷲主命・三女命」を勧請して祭神とし、神社を自らの城に見立て、回りに池を築き「掘り」とし、中央に橋を架けて神を祀ったとされています。
近世に至っては、双海町高岸にある三嶋神社の末社として祀られ、明治43(1910)年岡の成・河内神社、恵比寿神社(所在地不明)等を合祀し、現在に至っています。
弓削神社では、氏子の人達が「日参り信仰」続け、一日も欠かさすことなく旗を上げて「五穀豊穣と家内安全」の祈願が続きます。
現在の社殿は、明治30(1897)年に改築されたもので、境内には椎木の巨木が茂っています。
神社と向き合うようにして、池の対岸に弓削大師堂があり、本尊は弘法大師の石仏座像です。大師堂の周辺には、馬頭観音、開地蔵の石仏や大師堂円成供養塔などが祀られています。大師堂、池、太鼓橋、弓削神社と周りの自然との調和がとれ、池に映える老木の影、屋根付きの風雅な橋など趣のある景観を呈しています。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.3.13
住所: 愛媛県喜多郡内子町石畳甲1739
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