粉河寺(紀の川市・旧粉河町)
西国三十三ヶ所第三番札所・粉河寺
2015年04月06日
粉河寺は、山号は風猛山、本尊は、千手千眼観音菩薩、天台宗系の粉河観音宗総本山です。西国三十三ヶ所第三番札所です。
宝亀元(770)年大伴孔子古(おおとものくじこ)が、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、そこに小さな庵を営み、その後のある日、孔子古の家に一人の童子を泊めました。
童子はお礼に7日かけて千手観音の像を刻み、8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、金色の千手観音の像が残っていました。そして、孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになりました。
その後、時は流れ河内国の長者佐太夫の一人娘が長患いし、童行者が訪ね来て千手陀羅尼を誦して祈祷し、やがて娘の病は回復しました。童行者は長者がお礼にと申し出た七珍万宝を断り、娘が捧げる提鞘(さげさや・箸箱)と袴のみを手に「紀伊国那賀郡粉河の者だ」とのみ告げて立ち去りました。
翌年春、長者一家は粉河を訪れ、庵を発見し扉を開けると千手観音が安置され、娘が差し出した提鞘と袴を持たれていたので、かの童行者は、実は千手観音の化身であったことが分かったという話が残っています。
これは、国宝の紙本著色粉河寺縁起絵巻に描かれた開創伝説で、この本尊の千手観音菩薩は、これまで公開された記録のない、絶対秘仏です。
鎌倉時代には七堂伽藍、550坊、4km四方の広大な境内地があり、寺領4万余石を有していましたが、天正13(1585)年、豊臣秀吉が紀州に攻め入り、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失し、堂塔伽藍も焦土と化し、多くの寺宝もほとんど焼失しました。
現在の建物はほとんどが江戸時代の再建です。
よって開創されたといわれる、
粉河寺庭園は、雄大な本堂を仰ぎ見る前景として築かれた石組みは桃山時代の作風で、国指定の名勝となっています。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.4.4
住所: 和歌山県紀の川市粉河2787
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