武水別神社(千曲市・旧更埴市)
川中島の戦いにも縁の深い武水別神社
2015年04月17日
武水別神社は、社伝によると、武水別大神は第八代孝元天皇の時代に創建されたと伝えられており、善光寺平の五穀豊饒と千曲川の氾濫防止とを祈念して祀られました。
12月の大頭祭(新嘗祭)は、御神徳 に対し氏子民が感謝の誠を捧げる、この地方最大の祭典です。
八幡三神は、安和年間に京都石清水八幡宮より勧請され、相殿に奉斎されました。誉田別命は応神天皇、息長足比売命は応神天皇の御母君の神功皇后のことであり、比咩大神とは田心姫・湍津姫・市杵嶋姫の三女神の総称で国家鎮護、航海・交通安全の守護神と仰がれています。
養和1(1181)年6月、横田河原の戦いの前に木曽義仲の家臣楯親忠が祈願をしました。
更に、天文22(1553)年4月には長尾景虎(上杉謙信)が八幡周辺で初めて武田晴信(信玄)軍と交戦し、村上義清らの所領を一時回復させることに成功し、9月にも同地で再び武田勢を破っています。これが川中島の戦いの第一次合戦で、布施の戦いあるいは更科八幡の戦いともいわれています。
また、弘治3(1557)年の第三次合戦(上野原の戦い)と永禄7(1564)年の第五次合戦には、謙信は信濃へ乱入してきた武田信玄の討滅を同社(当時は更級八幡宮)に祈願しています。
古くは八幡宮と称していましたが、明治以降、武水別神社の名に復しました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.4.11
住所: 長野県千曲市八幡3012
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