明恵上人誕生地〔明恵紀州遺跡吉原卒都婆〕(有田川町・旧金屋町)
明恵上人が誕生した明恵紀州遺跡・吉原遺跡
2015年06月08日
この地は明恵上人誕生の地です。
上人は、京都高倉院の武者所につとめていた武士・平重国と有田の湯浅権守藤原宗重の四女の子として承安3(1173)年正月8日に生まれました。
上人は、後鳥羽上皇・建礼門院(安徳天皇の母)に戒を授けたり、承久の乱に敗兵をかくまい捕らえられましたが、かえって北条泰時に帰依を受けられました。
摧邪輪をはじめ華厳唯心義など七十巻余の著書は有名です。
また、栄西が宋から持ち帰ったお茶の普及にも努めました。
治承4(1180)年正月、母を失いその9月父も上総国で戦死して孤児となるまでの8年間ここで育ちました。
上人誕生の由縁を慕い、入寂後、嘉禎2(1236)年高弟義林房喜海が木製の卒都婆を建立、その後康永3(1344)年に朽ちたので、比丘弁迂が一族を勧進して石造りとしたのが現存する卒都婆です。
このたび、当地を発掘したところ、住居跡とみられる掘立柱建物、溝、土杭及び瓦器碗を中心に瀬戸の皿、常滑の壺、須恵質の鉢、当時としては貴重であった中国製の白磁の碗、青磁の皿、青白磁の合子などが出土しました。
検出した5棟の建物はいずれも13世紀中頃を前後する時期と考えられます。出土品などを考えあわせれば、一般庶民の住居に係るものではなく、当地における有力者の屋敷跡ではないかと考えられています。
また、上人の入寂後、高弟義林房喜海が追慕の堂宇として建てたものではなかろうかと推測されます。
町内には生誕地の他筏立遺跡、糸野遺跡があります。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.5.16
住所: 和歌山県有田郡有田川町歓喜寺
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