円通寺(むつ市)
恐山菩提寺の本坊で斗南藩の藩庁が置かれた円通寺
2015年08月19日
円通寺は山号は吉祥山、大永2(1522)年に根城南部氏の援助で曹洞宗の僧聚覚によって創建された曹洞宗の寺院で恐山菩提寺の本坊でもありますs。
万治2(1659)年下総東昌寺六世が中興しました。
明治維新は会津藩にとって、まさに動乱の時代でした。朝敵の汚名を着せられたまま廃藩となった会津藩は、翌明治2(1869)年9月、移封処分を受け最北の地へ挙藩流罪となりました。
ここ円通寺は、明治4(1871)年2月18日数え年3歳の松平容大公を藩主に迎え、斗南藩の仮館として藩庁が置かれた場所で、容保公、容大公が起居をともにされました。
現在も容大愛玩の布袋像などが保存されています。また、同時に田名部迎町大黒屋文左衛門方に玩中の藩学校日新館もここに移されました。境内にはこの地に残った会津人の手により、明治33(1900)年8月容大公揮毫による会津藩士の招魂碑が建てられました。碑文は会津藩士族南摩綱紀博士の撰によります。
「碑陰記」
明治三十三年八月
旧会津藩士従五位勲五等南摩綱紀撰并書
石工 伊東平太郎
明治戊辰之乱会津藩士奮戦各地死者数千人其忠勇
節烈凛乎凌風霜矣及乱平生者皆浴一視同仁之澤而
死者幽魂独彷徨寒煙野草之間不得其所吁嗟
哀哉今茲庚子為其三十三年忌辰於是旧藩士居南部
下北郡者胥謀建碑
圓通寺招魂祭之寺則旧藩主容大公封斗南時所館也
(読み下し文)
明治戊辰の乱、会津藩士、各地に奮戦す。
死者数千人、その忠勇節烈は凛乎(毅然)として
風霜を凌ぐ。乱平ぐに及び、生者は皆、一視同仁(差別を
つけず全ての人を同じように愛する事)の澤(恩恵)に
浴す。而して死者の幽魂は、独り寒煙(物寂しい)たる野
草の間を彷徨(さまよう)し、その所を得ず。ああ哀し
いかな、今茲(ことし)庚子(カノエネ)(明治三十三
年の干支)は、その三十三年忌辰(命日)なり。是に於い
て、旧藩士の南部下北郡に居する者、碑を圓通寺に建て、
招魂の祭をあい謀る。この寺はすなわち旧藩主容大公の斗
南に封せらる時の館なる所也。
(現地説明板などより)
平成25(2013)年の大河ドラマ「八重の桜」の第31回「離縁のわけ」 の「八重の桜紀行」で紹介されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H27.7.18
住所: 青森県むつ市新町4−11
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