波賀城(宍粟市・旧波賀町)
波賀城史跡公園として整備されている波賀城
2015年09月05日

波賀城のあった地域は11世紀の初めの頃までに、伯可荘として石清水八幡宮の荘園になっていました。
この地域には有名な名馬の伝説があります。「その昔、波賀七郎という武士がおりました。彼は素晴らしい馬を飼っていましたが、ある時そのことが都にまで聞こえ、その名馬を献上せよとの命令が届きました。七郎は名馬を惜しんでそれに従わなかったので、合戦になりました。彼は「馬隠しの穴」に馬を隠して戦いましたが、とうとう力尽きて戦死してしまいました・・・・」 伝説の波賀氏は、伯可荘の有力者であったと思われ、ここに初めて城を築いたのも、この一族であったものと推測されます。
13世紀の中ごろ、地頭としてこの地に移って来たのが中村氏や大河原氏です。彼らは鎌倉幕府の御家人で秩父(埼玉県秩父郡)を本拠地とした秩父丹党、丹治氏の一族です。中村氏は初代の光時から戦国時代末期の、吉宗まで20代にわたって波賀城主であったといわれます。波賀城を修理・拡張し、これを拠点として波賀城は、このような歴史を持つ城を戦国時代末期にさらに拡張・整備した時のものと考えられます。羽柴秀吉が播磨を制圧した時に、北の守りの拠点としたものである可能性も考えられます。
波賀城は山陽道と日本海側を結ぶ因幡街道や、それと千種を結ぶ街道、三方に通じる街道を眼下にする戦略的な位置にあります。ほとんど独立した山に築かれたために麓から本丸までの距離が短いので、途中に多くの郭を作って縦深をとっています。
また、西側の小山(古城)にも砦を築き、一体となって敵軍を防ぐ工夫をしています。復元された城の石垣は中世と近世の中間的な特徴を持ち、全体の縄張りとともにこの城が過渡期のものであることを示す貴重な遺構になっています。
平成2(1990)年3月、波賀町(現在の宍粟市)は、ふるさと創生事業の一環として、波賀城史跡整備に取り組むことを決め、城蹟整備専門委員会を設置して、文献、古文書など考古学的及び地理的環境からみた波賀城史の調査研究を行う一方、城山の山頂部分を中心とする城郭遺構とその縄張りと、山麓部の製鉄遺構の発掘調査等を行いました
そして、城郭内には二層櫓、冠木門などが建てられ、波賀城史跡公園として整備されています。
(現地説明板などより)
営業時間 8:30~17:00
料金 無料
定休日 月曜日・年末年始(12/28~1/4)
Photo Canon EOS M3
H27.8.2
住所: 兵庫県宍粟市波賀町上野2-51
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