石神井城(練馬区)
石神井城は、秩父平氏の一族で、石神井川流域を中心とする台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などやその周辺地域に平安時代末期から室町時代中期頃まで勢力を持っていた、豊島氏の居城の一つです。
石神井川と三宝寺池に挟まれた標高約49mの舌状台地上に所在し、東西約350mの規模の主郭と外郭からなり全体では9ha前後の規模であったと推定されている、比較的単純な構造の中世城館です。
当時の城は、土塁と濠で土地を四角形に区画した場所(郭)をいくつか築き、防御施設としていました。北側と南側は、三宝寺池と石神井川という自然の地形を利用して防御されていました。
昭和31(1956)年以降の数次の発掘調査によって、主郭や土塁築土から12世紀から16世紀前半までに属する陶磁器が出土しています。
文明8(1476)年の長尾景春の乱の際、当時の城主豊島泰経は景春に与したので、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に攻められることとなり、翌年の文明9(1477)年、太田道灌に攻められ石神井城は落城しました。
「太田道灌状」によれば、最後の城主豊島泰経は、石神井城落城の後、平塚城(北区西ヶ原)に敗走し、その翌年の1月25日、再び道灌に攻められ小机城(横浜市)に逃げています。その後の泰経の足どりは、記録として文献には残っていません。
落城後、康経が白馬に乗って三宝寺池に深く沈み、長女照姫も後を追って入水したなど、落城にまつわる伝説が伝えられています。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H27.10.12
住所: 東京都練馬区石神井台1丁目
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