源義家が創建し、世田谷吉良氏の祈願所だった世田谷八幡宮
2016年01月01日
世田谷八幡宮は、寛治5(1091)年、源義家が、陸奥国(奥州)の鎮守府将軍として任ぜられた源義家が、幾多の苦を重ねて清原家衡を金沢柵にて攻め平定した後三年の役(1087-1094)からの帰途、この世田谷の里にて豪雨にあい、先に進めず天気快復を待つため10数日間滞在し、備前国(大分県)の宇佐八幡宮の御分霊を勧請創建したと伝えられています。その際、里人に対しこの御祭神を郷土の鎮守神として厚く信仰するよう教えた、と云われています。また、そのとき兵士に奉祝相撲を取らせた事でも有名であり、現在でも奉納相撲として伝えられています。
その後、天文15(1546)年8月に世田谷城主の吉良頼貞(後に頼康と改名)が社殿を修築造営した時に、備前雲次太刀を一振寄進し、吉良氏領内第一の神社として尊崇されました。吉良家の祈願所として、神職はその当時の家臣一家老職大場家の一分家たる大場氏により祭典が行われてきました。
天正18(1590)年、吉良氏と婚姻関係にあった小田原北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされた後、徳川家康が関東に入国し、翌天正19(1591)年、家康は世田谷八幡宮の旧領11石を朱印地としました。
明治維新後の明治5(1872)年、郷社となり、この時、社名を宇佐神社と改めましたが、太平洋戦争後、もとの世田谷八幡宮に復しています。
昭和39(1964)年5月に社殿を改築し、文化10(1813)年建立の旧本殿が社殿内に納められ現在の荘厳な社殿となり世田谷の鎮守の神様として多くの人達に厚く信仰されています
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H27.10.17
住所: 東京都世田谷区宮坂1-26-3