蘆花恒春園(世田谷区)
徳冨蘆花の旧邸などが残る蘆花恒春園
2016年01月01日
蘆花恒春園は、明治・大正期の文豪、徳冨蘆花(健次郎)と愛子夫人が、後半生を過ごした住まいと庭、それに蘆花夫妻の墓地を中心とした旧邸地部分とその周辺を買収してつくられました。
蘆花は「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などの名作で知られています。蘆花は「不如帰」で恋愛を描き、当時のベストセラーとなり、対立していた兄から自立する足がかりとなります。
明治40(1907)年2月まで、東京の青山高樹町に借家住まいをしていましたが、その後、民友社を退社した蘆花は土に親しむ生活を求め、当時まだ草深かった千歳村粕谷の地に土地と家屋を求め、「恒春園」と称しました。そして蘆花46歳のときに、山本覚馬の娘久栄との恋愛を描いた「黒い眼と茶色の目」を出版します。この作品を世に出すことで、ようやく過去の恋人と決別できたといいます。
この地で徳冨蘆花は昭和2(1927)年9月18日に逝去するまでの約20年間、晴耕雨読の生活を送りました。
昭和11(1936)年の蘆花没後10周年忌に際し、愛子夫人から当時の家屋、耕地など旧邸地の一切が東京市に寄贈され、市では昭和13(1938)年、夫人の意向に沿って、武蔵野の風景を保存し、公園として公開を開始しました。これらの建物は老朽化により昭和58(1983)年~昭和60(1985)年度にかけて改修を行い、「徳冨蘆花旧宅」として、昭和61(1986)年3月10日東京都の史跡に指定されました。
邸地とともに寄贈された身辺具、作品、原稿、手紙、農工具などの遺品を収めるために昭和34(1959)年に建設された蘆花記念館、母屋、秋水書院、梅花書屋、蘆花自身の手植えの竹林、長兄の徳富蘇峰氏が銘を刻んだ自然石の墓碑の徳富蘆花夫妻の墓などがあります。
平成25(2013)年の大河ドラマ「八重の桜」第46回「駆け落ち」の八重の桜紀行でも紹介されました。
開園時間 9:00~16:30
徳冨蘆花旧宅
開館時間 9:00~16:00
蘆花記念館
開館時間 9:00~16:00
Photo Canon EOS M3
H27.10.17
住所: 東京都世田谷区粕谷1丁目20
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