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武蔵国分寺跡(国分寺市)

武蔵における国分寺・武蔵国分寺跡
2016年01月16日
カテゴリ : 東京都 > 観光 > 建物・史跡
奈良時代中頃の天平13(741)年、聖武天皇は仏教の力で国を安定させるために諸国に国分寺建立を命じました。
武蔵国では湧水が豊かな国分寺崖線を背にして、都と国府を結ぶ駅路(東山道武蔵路)の東側に僧寺、西側に尼寺を配しました。
武蔵国は多摩郡をはじめとする21郡からなり、国分寺の造営にあたっては武蔵国内の人々の力が総結集されましたが、完成した年代は土器や瓦、漆紙文書等の出土資料から天平宝字年間(757~765年)頃と考えられます。
僧寺は中枢部、伽藍地、寺院地の三重に区画される構造です。
中枢部は北から順に、経典などを講読する講堂、本尊を安置していた金堂、入口にあたる中門が主軸を揃えて一直線に並び、その両側には梵鐘を吊った鐘楼と、経典を収蔵した経蔵、僧は起居する東僧房・西僧房などがありました。
これらの建物は塀と溝によって囲まれ、その規模は東西で約156m、南北で約132mを測ります。
また、塀の構造は掘立柱塀から築地塀へ変わったことも明らかになっています。
中枢部の外側には、中門から南へ約60m離れて南門、東へ約200mの地点に七重塔がそびえ、これらの堂塔は溝によって周囲と画されていました。承和2(835)年に雷火で焼失し、十年後に男衾郡(埼玉県比企郡)の前大領(さきのだいりょう:郡の長官)の壬生吉志福正がその再建を願いでて許可されたことが知られています。
さらに、金堂を中心とした東西約1.5km、南北約1kmの周囲には竪穴住居や掘立柱建物が広がり、寺院を支えていた集落は広域に及んでいたことがわかっています。
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS M3
H27.11.15
住所: 東京都国分寺市西元町・東元町

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