渋谷城〔金王八幡宮〕(渋谷区)
平安末期に河崎基家がこの地を与えられ、その子の渋谷重家が館を築いたとされます。重家より渋谷氏を名乗ったようです。重家は相模の渋谷荘とこの周辺を領していましたが、重家の長男重国が渋谷荘司となって移り、次男金王丸常光が継いだそうです。
その後、渋谷城は戦国まで存続しますが、大永4(1524)年、北条氏綱の関東攻略の際、扇谷上杉氏に味方していた渋谷氏は氏綱軍に攻められ落城したといわれています。
城跡は、金王(こんのう)八幡宮となっています。
社記によると、この八幡は渋谷氏の祖、河崎基家が寛治6(1092)年に創建されたといわれています。
重家がこの地に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。
渋谷重家に嫡子がなく、当神社に祈願をしたところ、大神の御神徳により渋谷金王丸常光、後の土佐坊昌俊を授かりました。金王丸の活躍は、平治物語、吾妻鏡などにみられるとおりです。当神社は当初は渋谷八幡宮と称していましたが、金王丸の名声に因み、金王八幡宮と称するようになりました。
境内の金王桜は頼朝が金王丸を偲び植えたもので、一重と八重が交じって咲く珍しい桜で、江戸三名桜に数えられました。
現在の社殿は、徳川家光が三代将軍に決定したとき、守役の青山忠俊が家光の乳母春日局とともに、慶長17(1612)年に造営を開始したものです。その後たびたび修理されましたが、江戸初期の建築様式をとどめている貴重な建物です。
門は、明和6年(1679)年と享和元(1801)年に造られたとする二説があり、江戸中期の建立にはちがいありませんが、その後何度かの修理を経て今日に及んでいます。
Photo Canon EOS M3
H27.11.28
住所: 東京都渋谷区渋谷3-5-12
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