普済寺(立川市)
普済寺は、山号は玄武山、臨済宗建長寺派の寺院です。
文和2(1353)年、鎌倉建長寺の高僧であった物外可什禅師が開山となり、立川氏の菩提寺として創建されました。
室町時代の応永の末頃から永享年間に至ると、打ち続く戦乱の中で立川氏は没落したため、普済寺も衰退しました。
その後、約100年間の歴史は不明ですが、永正年間(1504~21)に入ると、立川一帯は高幡(日野市)城主平重能の勢力下となり、普済寺も再建され旧立川城の一隅からその全域へと拡大、約一万坪の境内には七堂伽藍をはじめ、六院の塔頭が甍を並べるに至ったといわれています。
平氏はその後間もなく衰退し、天文年間末(1550年代)には、後北条氏の幕下となった立川氏が勢力を挽回し、再び普済寺の大檀那になりました。
天正18(1590)年、立川氏は主家北条氏とともに豊臣軍に敗れ、普済寺も兵火に遭いました。
翌年、徳川家康より御朱印20石の地が寄進され、命脈は保たれましたが、衰退しました。
堂宇の再建は数十年後の万治年間(1660年頃)に至って始められ、そして元禄4(1691)年までに方丈・仏殿・庫裡・鐘楼・塔頭(心源庵・有慶庵)が復興されました。
なお、仏殿と有慶庵は明治初期に、老朽化したため取り壊され、また、庫裡・本堂はそれぞれ嘉永6(1851)年、昭和15(1940)年に再建されました。
境内には、国宝・六面石幢があります。石幢は高さ166cm、幅42cmの秩父青石と呼ばれる緑泥片岩の板石6枚を柱状に組み合わせたもので2面に仁王像、四面に四天王像が刻まれています。立川市歴史民俗資料館にレプリカが展示されています。
Photo Canon EOS M3
H27.12.3
住所: 東京都立川市柴崎町4丁目20-46
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