清澄庭園(江東区)
下総国関宿藩主久世大和守の下屋敷跡に岩崎弥太郎が造園した清澄庭園
2016年01月22日

清澄庭園は、一説には江戸の豪商、紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。
享保年間(1716〜1735年)に下総国関宿藩主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られました。
明治11(1878)年に岩崎彌太郎がこの邸地を含む一帯約3万坪を取得し社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園」を開園しました。その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」として完成しました。関東大震災後、大正13(1924)年、震災被害の比較的少ない東半分が岩崎家から東京市に寄付され、「清澄庭園」として復旧、整備して、昭和7(1932)年7月24日に東京市の公園として開園しました。また、昭和52(1977)年には、庭園の西側に隣接する敷地を開放公園として追加開園しました。昭和54(1979)年3月31日に、「清澄庭園」は東京都の名勝に指定されています。
三つの中島を配した広い池。水面に島や数寄屋造りの建物、樹々の形を映しだすこの池は、庭園の要です。昔は隅田川から水を引いていました。そのため潮の干満によって池の景観が微妙に変化したといわれています。現在は雨水でまかなっています。
なお、大正12(1923)年9月の関東大震災や昭和20(1945)年3月の大空襲の時には避難場所として多くの命を救いました。
多くの名石があり、伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石。これらは庭園に据えられた庭石の代表的なものです。このほか敷石や橋、磯渡り、枯滝の石を含め、園内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものです。
富士山は、この庭園で最も高く大地下鉄きな築山で関東大震災以前は、この築山の山頂近くには樹木を植えず、サツキやその他のツツジ類の灌木類を数列横に配して、富士山にたなびく雲を表現したものだと言われています。
涼亭は、涼亭池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物で、この庭園を日本情緒豊かなものにしています。涼亭は、明治42(1909)年に国賓として来日した英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたものです。震災と戦火の被害からまぬがれ今日に至りましたが、昭和60(1985)年に全面改築工事を行いました。集会場として利用できます。平成17(2005)年には「東京都選定歴史的建造物」に選定されました。
磯渡りは池の端に石を点々と置いて、そこを歩けるようしたもので広々とした池の眺めが楽しめるだけでなく、歩を進める度に景
観が変化するように配慮されています。
大正記念館は、大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移築したものでしかし、最初の建物は戦災で焼失してしたため、昭和28(1953)年に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建され、平成元(1989)年4月に全面改築されました。集会場として利用できます。(パンフレットより)
開園時間 9:00〜17:00(入園は16:30まで)
休園日 年末年始(12/29〜1/1)
無料公開日 みどりの日(5/4)、都民の日(10/1)
Photo Canon EOS M3
H27.12.13
住所: 東京都江東区清澄3丁目3-9
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