友林堂(玉野市)
戸川秀安(友林)の位牌を安置している友林堂
2016年02月11日
この友林堂は、慶長2(1597)年に亡くなった常山城主戸川友林(秀安)の位牌を安置する霊廟であり、文化2(1805)年、撫川・早島・帯江・妹尾知行の戸川四氏によって建立されたものです。
建物全体は三間に一間の唐破風入母屋造り妻入りの拝殿と、一間に二間の祠堂で構成されています。
屋根の作りに特色があり、拝殿正面の唐破風の上部に千鳥破風を置き、拝殿左右の屋根にも千鳥破風を置くという、荘重で優美な外観を呈しています。
拝殿内部の折上格天井の格間には天井絵が描かれ、文化2年紫邦彦(幕府儒官柴野栗山)銘の「啓宇」の額も掲げられています。
一方、祠堂内部には位牌のほか天正17(1589)年の墨書銘を持つ木像など、友林ゆかりの品も伝わっている。
この建物は嘉永5(1852)年から平成12(2000)年までの6回にわたって改修が行われており、戸川氏一族と宇藤木区民が協力してきました。
友林堂のすぐ上には戸川友林及び日賢・日教の墓があります。
戸川友林は、平右衛門秀安といい、宇喜多直家に仕え、天正3(1575)年の常山合戦の後、常山城主に命じられました。天正18(1590)年に家督を嫡子逵安(みちやす)に譲り、山麓に草庵を結んで閑居し、慶長2(1597)年に没しました。日賢・日教は友林の重臣と伝えられています。
玉垣の中にあるのが友林の五輪塔で(高さ245cm)、土塀の外の左側が日賢(高さ137cm)、右側が日教(高さ124cm)の墓です。いずれも豊島石製です。
墓守の則武氏(のち大塚氏)代々が、友林の位牌を祀っていましたが、文化2年、戸川氏が霊廟を建てたので、ここに安置しました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H28.1.28
住所: 岡山県玉野市東高崎
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