海南荘跡(西宮市)
ポツダム宣言受諾の実現に尽力したことでも知られている下村宏(海南)の邸宅跡・海南荘跡
2016年11月24日
下村海南は、本名は下村宏といい、大正から昭和前期にかけての新聞人、官僚です。
また、佐々木信綱門下の歌人、随筆家です。台湾総督府民政長官を経て、大正10(1921)年、朝日新聞社に入社しました。我が国の新聞の近代化に多大の功績を残しました。後、貴族院議員、日本放送協会会長を歴任しました。昭和20(1945)年、国務大臣兼情報局総裁として、第二次世界大戦の終結に尽力したことで知られています。昭和20(1945)年8月15日正午、昭和天皇による玉音放送に際し、情報局総裁として本放送の前後に言葉を述べました。
昭和32(1957)年12月9日、82歳で亡くなりました。
海南は、故郷の和歌山を見晴らすこの地をこよなく愛し、大正10(1921)年、この宏大な土地に邸宅を構え、「海南荘」と称し、約15年間ここに住みました。その間、佐々木信綱や川田順、九条武子、中村憲吉、土岐善麿など多くの歌人や文化人を招いて、歌会や各種集会を催し、苦楽園に文化の華を咲かせました。
この歌碑は、海南が東京へ転居したあと海南荘を買い取った堀抜義太郎氏によって昭和12(1937)年に海南荘の庭内に建てられたものです。碑には海南自筆の歌が刻まれています。
眼ざむれば 松の下草刈る鎌の 音さやに聞ゆ 日和なるらし
海南荘はその後、昭和28(1953)年3月、大阪市交通局保険組合苦楽山荘として使われ、平成7(1995)年1月に阪神・淡路大震災により休止、平成12(2000)年3月閉鎖されました。平成17(2005)年には売却され、現在は苦楽園四番町公園の中に歌碑や説明板が立っています。
また、苦楽園四番町公園には、徳川大坂城六甲採石場の石が展示されています。ここにある石は、分銅形刻印が刻まれており、出雲松江23万5千石を領地とする堀尾家(堀尾山城守忠晴)のもので、松江城石垣にも見いだせる刻印です。
Photo iPhone 7
H28.10.8
住所: 兵庫県西宮市苦楽園四番町
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