戸隠神社・宝光社(長野市・旧戸隠村)
中社祭神の御子神を分祀した戸隠神社・宝光社
2017年01月18日
戸隠神社は、奥社、火之御子社、中社・九頭龍社、奥社の五社からなっています。
平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていました。
縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉祥2(849)年頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源となったといわれます。その後200余年を経て康平元(1058)年に宝光院が、さらに寛治元(1087)年に中院が開かれたといわれます。
明治の初めの、神仏分離により、寺を廃し、奥院、中院、宝光院をそれぞれ奥社、中社、宝光社と名称を改めました。
中世には、戸隠山は、武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危難に脅かされたので、三院の衆徒らは、一時、大日方氏の領内水内郡小川の筏が峰(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰りました。
修験の山の旧態がなおよく保存されている奥社、中社、宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡、中院跡、宝光院跡)が史跡指定となっています。
なお、奥社、中社付近の考古学調査は、昭和38(1963)年から昭和40(1965)年にかけての戸隠総合学術調査の一環として行われ、講堂跡をはじめ数々の遺構などが明らかにされています。
宝光社は、祭神は中社祭神の御子神で、開拓学問技芸裁縫の神・安産の神・女性や子供の守り神です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H28.12.30
住所: 長野県長野市戸隠2110
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