月蔵寺(堺市堺区)
大坂夏の陣にゆかりの寺院・月蔵寺
2017年03月30日
月蔵寺(がつぞうじ)は、山号は青陽山、日蓮宗の寺院です。
明応(1495)年に堺北之庄で開創され、天文12(1543)年には本山妙國寺開山の日珖上人の父で堺の豪商である油屋常言の寄進を受けて、この地に建立された日蓮宗寺院です。現在の本堂は正徳2(1712)年に建立されたもので、度重なる修復を経ています。
北辰妙見大菩薩をお祀りする妙見堂は、寛政5(1793)年に創建され、弘化3(1846)年に修理されたもので、妙見菩薩像が鎮座する厨子は上方歌舞伎役者の二代目中村富十郎が嘉永5(1852)年に奉納したものです。
元禄時代(1688〜1704)に、京都の熱心な法華信者であった谷口法春一族は大坂から江戸に至る各地の刑場に受刑者慰霊の題目碑を建て、また多くの日蓮宗寺院に御本尊や涅槃図を奉納しました。
境内にある題目碑は法春が並松の刑場に建てたものを、明治に移転したものです。月蔵寺の御本尊と寺宝の涅槃図〔元禄9(1696)年〕は法春の息子、法悦によって奉納されました。
早春の梅や椿に始まり、新緑の頃から初夏にかけては境内や客殿奥の仙栽で多くの花木が咲き誇り花の香りに包まれます。
ツワブキの花が終わる初冬には、本堂前のモミジが紅葉し、銀杏の葉と共に境内を彩ります。
境内や仙栽には四季折々の風情があります。
土塀は大坂夏の陣の後に兵火による焼け瓦を組み入れて築造されたと伝わる重厚な土塀、また、安永8(1779)年と嘉永3(1850)年にそれぞれ再建された妙見堂表門と山門は、柳寺町と呼ばれた往時の風情を今に伝えています。また、豊臣方の武将大野三兄弟の三男大野道犬斎治胤や堺奉行長谷川藤広の家臣風間六右衛門尉道喜の墓があります。大野道犬は、大坂夏の陣で豊臣秀頼の命を受けて堺に火を放ち、資料によれば2万の家屋と多くの寺社を焼失させました。後に京都で捕らえられ、堺で火刑に処されました。風間六右衛門は、町割奉行として大坂夏の陣の後、ほとんど壊滅状態になった堺の町を碁盤の目状に町割りして復興させました。(元和の町割り)町割りの際に、一部の寺社から非難されたことで幕府に召喚され、江戸に向かう途中、並松の刑場付近で自刃しました。かつては並松の刑場にありましたが、明治初頭に刑場が廃止された時に、共に月蔵寺に改装されました。
Photo Canon EOS M3
H29.3.4
住所: 大阪府堺市堺区柳之町東2丁2−7
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