井伊直虎の花押が記された文書を所蔵している蜂前神社
2017年05月30日
蜂前神社(はちさきじんじゃ)は、応神天皇の時代、八田毛止恵が勅命によって遠江国に下向して開墾し、八ヶ前の地に本社勧請したのが始まりだといわれています。脇宮二社は十九代允恭天皇の御代に勧請され、その頃から社号は鳥飼明神、羽鳥大明神と称えられ、延長5(927)年蜂前神社と改め古名に復しました。延喜式神名帳に記載されている式内社であり旧社格は郷社です。
神社の前に広がる平野もかつては今川家の家臣として井伊家の領地でした。
この一帯をかつては刑部郷といい、これは奈良時代からつづく古い地名です。
井伊直盛の代に今川義元に謀反を疑われた一族の直満・直義が殺害され、直満の子・亀之丞は信州に身を隠し、許嫁だった直盛の娘も出家してしまいます。
弘治元(1555)年に帰還した亀之丞は名を直親と改め、神社のある祝田村に住みました。
桶狭間で主君・義元とともし直盛が戦死すると直親が家督を継ぎましたが、今川家から徳川家への謀反を疑われて謀殺されます。
存亡の危機を迎えた井伊家は、出家していた直盛の娘を当主としました。
女性として井伊谷領主を継いだ井伊直虎に対して、永禄9(1566)年、今川氏真は井伊谷及び祝田・都田の地域に徳政令(貸借関係の破棄)を命じました。
直虎は独自の判断で、徳政令の実施を2年間押しとどめています。
蜂前神社には、その時の経過がわかる古文書が残っています。直虎の花押が記された唯一の古文書「井伊直虎関口氏経連署状」で、浜松市博物館に保管されています。
平成29(2017)年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の第14回「徳政令の行方」の直虎紀行で紹介されました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.5.3
住所: 静岡県浜松市北区細江町中川6915