名古屋市四間道町並み保存地区(名古屋市西区)
清洲越商人の町・名古屋市四間道町並み保存地区
2017年09月12日
名古屋市四間道町並み保存地区は清洲越商人の町です。
名古屋城の築城は慶長15(1610)年に始まり、城下町の建設も同時に進められました。尾張の政治の中心地も清洲から名古屋へ町ぐるみ移転しました。これがいわゆる「清洲越」といわれるものです。
この地区は清洲越商人の町として生まれ、堀川沿いには、水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ね繁栄しました。
四間道は、元禄13(1700)年の大火の後、防火の目的や商業活動のため道幅を4間(約7メートル)に広げたことにより、その名がついたといわれています。
四間道をはさんで、東側には石垣の上に連続する土蔵、西側には町家が建ち並ぶこの独特な景観は、元文年間(1740頃)に形成されました。堀川から荷を揚げた石畳や屋根神様そして子守地蔵尊など、下町情緒が今も都心に残る貴重な地域です。
名古屋市はこの地区を昭和61年6月10日「町並み保存地区」に指定し、歴史的な町並みを守るために必要な建物、保存すべきものを定め、修理・修景工事に対する補助事業などを進めています。
四間町でよく見られるのが屋根神です。屋根の上に小さな社を祭るという形態は、名古屋独特のものです。これは、疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民の祈りをこめて造られました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M3
H29.8.19
住所: 愛知県名古屋市西区那古野1丁目
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