広八幡神社(広川町)
稲むらの火で村人が避難した神社・広八幡神社
2017年10月08日
広八幡神社は、かつては八幡宮と称し、広荘の産土神として知られています。「紀伊続風土記」には欽明天皇の頃の創建にかかると伝えられ、天正13(1585)年豊臣秀吉の紀州征伐により、神庫や防舎などが焼失しました。
慶長5(1600)年、浅野幸長が和歌山藩主になると神領10石を寄附され、元和5(1619)年に紀州徳川家が入封すると歴代藩主もこれを襲用するとともに厚い保護を加え、次第に興隆しました。
本殿には誉田別命、足仲津彦命、気長足姫命を祀っています。建立は詳らかではありませんが、摂社2棟の棟札に応永20(1413)年に造営の記載があり、このときの建立と推察されます。大型の三間社流造、檜皮葺の建物で、木割も大きく、蟇股の輪郭・内部彫刻は卓越したものがあります。棟札が多く残されており修理の変遷が窺い知れます。安永5(1776)年には徳川家から原木の寄付や大工棟梁の応援を受けて大規模な修理が行われています。江戸時代末までは神仏習合により境内に多くの仏堂がありましたが、明治初年の神仏分離に伴い、三瀧寺などに移されています。
安政元(1854)年、大津波が広村を襲った際、濱口梧陵は稲むらに火を放ち、村人を高台に避難させました。この「稲むらの火」で村人が避難した神社がこの廣八幡神社です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.8.26
住所: 和歌山県有田郡広川町上中野206
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