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濱口悟陵の碑〔悟陵濱口君碑〕(広川町)

勝海舟が書き記した濱口悟陵の碑〔悟陵濱口君碑〕
2017年10月09日
広八幡神社の境内に「梧陵濱口君碑」はあります。濱口梧陵の死後、濱口家を継ぐ当主勤太に頼まれ、梧陵の功績を友人である勝海舟が書き記したものです。

樞密顧問官 正三位勲一等伯爵勝安房撰文並題額

浜口成則(「なりのり」ともいう)別名を公輿、一般には儀兵衛(七代)と称した。梧陵というのは号である。和歌山県、紀州有田郡広村(現・広川町)に生まれた。浜口家は村の代々資産家として知られていた。
梧陵は生れつき、とてもスケールの大きな人で、しかも物の道理に通じ、たくさんの本を読み、特に荻生徂徠の説いた学問には興味を示し、よく勵んだ。
はやくから大きな志を持ち、国内の有名な知識人とは広く交り、その上天下や外国情勢についても、すばらしい観察眼でみつめていた。
幕府は鎖国を解いて外国の交りを開くにあたって、梧陵は人に語るには現代最大重要課題は、外国との交際であり、その基になるのは、国の考えを誠心誠意伝え、それでもうまく行かなければ、或いは戦を交じえなければならぬかも知れないが、その後、必ず仲直りすることが大事であると述べた。これは有能な数人の役人の知るところである。
梧陵は外国に行って、その国々の実情を知りたいと考え、それを進めていた。知人らは、みなそれに賛同し助けようとした。しかし幕府はそれを許可するのに手間どり、梧陵の思い通りにはゆかなかった。梧陵は幕府の対応を嘆き、これをあきらめ、江戸より郷里紀州に帰り、ここで若者の教育に尽くすことを決意する。その方針は、文は道徳や経済を第一に考えて教え、武術では西洋の銃を採用、銃陣の編隊をつくり、幾度も練習させ試した。
紀州藩は梧陵の教えに従い、みなの心にやる気ができ、振いたってきた。藩主(徳川茂承)は藩の政治の新しい改革に当たり、梧陵の日頃の業績を高く評価し、政治の中心に参加させた。
明治四年(一八七一)和歌山藩の権大参事より明治政府の駅逓正さらに駅逓頭(いまの郵政大臣のような役目)につき、また紀州に帰って和歌山藩の大参事(県知事のような役)となり、しばらくしてその役目を辞したが、再び同県参事に付き、そしてその役目を終えた。
安政の始め(一八五四)有田郡に大地震あり、津波に襲われた。広村の村落は跡形もない程に洗い流され、水は退いたが生活の根幹を失い、そこに残るのは壊れた家と荒れはてた土地という惨状に、人々は呆然自失、心が定まらず。その上飢餓に落ち入ろうとしていた。
そこで梧陵は人々を慰め勵まし、自分の私財を投げうって人々を起ちあがらそうと懸命の努力をした。
前々から広村の田に対する税が重く、他の村の倍にもなり、そのために村人は常に苦しい思いをさせられていた。梧陵は思うに、津波を防ぐには堤防を設けることが大事で、一日の猶予も出来ない。その上、ここに住む人々は重い税に苦しんでいる。これを救うのも何より大事なことだ。税の対策も急がねばならない。いまもし、重税の田に堤防を築けば、住民は重税の苦しみから解放され、津波からも守られる。
これは一挙両得の計画だ。こう考えた梧陵は親類の浜口吉右衛門と相談し、役人に申し出、堤防構築の多額の費用を負担するからと頼み、その許可を得て自らその中心となって管理、監督を行った。そしてわずかの間に竣工させた。堤の長さは十五町、広さ八間、永久に租税免除の地となり、村中一時に二つの害からまぬがれることとなった。この外、橋を作り、産業をすすめ、その成果の挙ったのは一つや二つではなかった。村人はみな、このすばらしい恵みに大いに感激した。
和歌山県に県議会が開かれることとなると、人々の期待は梧陵に集り、初代議長にも推された。また木国同友会の会長にも推薦された。
梧陵は政党の短所を筋道をたてて述べ、県会議員や政治家に軽はずみな行動を自重させ、確実に一歩一歩前進するよう政治を導いた。
梧陵の話すことは、わかりやすく丁寧で、県下の政治の中心的な人々は、これによって自力で、しかも自主的にいろいろ計画を樹てることができた。
君は年をとったとはいえ、とてもすぐれた気性にあふれ、以前と一つも変わらないすばらしさを持っていた。
明治十七年五月(一八八四)決心して歐米の航海に出、前々からの志をとげようと考えられた。
本当にその気持は、日本国の国会開設の大事な時が迫り、そのためにも諸外国の政治や風俗を親しく自身の目で確かめ、国のために役立てようとの考えからであった。
惜しんでもあまりあるのは、その足跡はアメリカ合衆国一国で止まったことである。ニューヨークのホテルで病没、明治十八年四月二十一日。享年六十六歳であった。
君の学問は現代の世の中で最も必要で大事なものを根幹にして学ばれた。
安政の津波は、夜の暮れおえた時に起ったので、人々は慌てふためき、家より出て逃げる場所さえ知らなかった。その時、君は命じて大きな砲声を連発させ、これによって村人は走り出て高い丘に逃げることができた。またとても道は暗く、人々は歩くのが困難であったが、君は他のほとりの稲むらに火をつけ、まわりを明るくし、人々はそれを頼りに逃げおおせ、死をまぬがれたのである。
この機智に長じたのも、世の中で最も必要な学問をした例といえる。私は若い頃、君とともに剣道の技を一緒に学び、それ以来およそ四十年となる。それを思うと、うっとりとしてまるで夢のようである。しかし、君とは再び会うことができない。
浜口家を継ぐ当主勤太が、私に人を通じて、君の平素の行いや業績を記してほしいと頼まれた。そこでその大略をこの様に書いたのである。
(現地説明板などより)


Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.8.26

住所: 和歌山県有田郡広川町上中野 206

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