穴太寺(亀岡市)
西国三十三所観音霊場の二十一番札所・穴太寺
2017年12月27日
穴太寺は山号は菩提山、天台宗の寺院です。
西国三十三所観音霊場の二十一番札所として広く知られています。古くは「穴穂寺」「穴生寺」「菩提寺」などと呼ばれていました。
宝徳2(1450)年に書かれた「穴太寺観音縁起」によると、文武天皇の慶雲年中(704~708)大伴古麻呂大臣が薬師如来を本尊として開創したと伝えています。当時早くから世に知られるようになったのは、聖観音像にまつわる「身代わり観音」の霊験譚によります。
「本朝法華験記」(1040~1044)「扶桑略記」(平安時代後期)「今昔物語」(平安時代後期)などによれば応和2(962)年丹波桑田郡の宇治宮成が京都から仏師感世を招き金色の観音像を造立したと伝えます。また、「穴太寺観音縁起」は観音像の造立を寛弘7(1010)年のことと伝えています。
鎌倉時代後期には三十三所観音霊場の一つとしてあげられ(公衡公記)一遍上人も当寺に参詣して逗留しました。(一遍上人絵伝) また室町時代には山門西塔院の末寺となり室町将軍家足利氏の庇護を受けました。天正年間(1573~1592)に兵火にかかり伽藍は荒廃しました。その後の再興は17世紀中期中興初代行廣が住職に就いてからです。
「寺社御改書上帳」、享保13(1728)年本堂(観音堂)を焼失しましたが、「穴太寺拝領行運記」享保16(1731)年には本堂の再建が始まり享保20(1735)年に棟上げが行われ、元文2(1737)年全てが完成しました。
当寺の涅槃像は全国的にも6例しかない貴重な仏像で、市の文化財に指定されています。檜材を用いた寄木造りで鎌倉時代の作です。この像は撫で仏として自分の体の悪いところと同じ場所を撫でてお願いすると、霊験があるといわれています。
当寺の庭園は京都府の名勝指定を受け、本堂、多宝塔は京都府の文化財の指定を受けています。鎮守堂・仁王門・鐘楼・念仏堂・方丈及び庫裡方丈表門は京都府の登録文化財として、また亀岡市の指定を受けています。
(現地説明板などより)
拝観料
本堂と庭園 500円
拝観時間
8:00〜17:00
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H29.11.23
住所: 京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46
関連リンク
タグ
地図
関連情報