松巖寺(長野市・旧鬼無里村)

松巖寺は、山号は凌雲山、曹洞宗の寺院です。
平安時代冷泉天皇の安和年間、京の鎮守府将軍源経基の寵姫「紅葉」は不埒の廉により、信濃国戸隠に流刑となりましたが、この里の猟師に助けられこの地に住まいを得ました。村人は紅葉を憐れみ内裏様と呼び屋敷を作り尊敬し慕いました。
紅葉はこの里を水無瀬と呼び、居館の東の方を東京、西の方を西京と称し、二条、三条、五条の地名もつけ、川は加茂川といい、この山里を京の都に準えて暮らしました。
しかし、紅葉は都への慕情捨てがたく、上京を決意し戸隠の洞窟に進撃の拠点を構え、軍兵を集めました。その動静を知るや、都の平家一門は、紅葉を妖怪変化の鬼女であるとして、百戦錬磨の勇将、余呉将軍平維茂を大将軍に任じ、軍を信濃に派遣し、討伐に向かわせました。
平維茂は、戸隠山の洞窟にこもる紅葉軍と戦い、苦戦の末、謀略をもってようやく紅葉を打ち倒しました。
時に安和2(969)年10月初秋、紅葉33歳であったといわれています。
紅葉が息を引き取った洞窟には、紅葉の守護仏地蔵尊が祀ってありました。平維茂はこれを村に持ち帰って、紅葉の業障消滅の供養のため、当寺観音堂のあたりにお堂を建て、「鬼立山地蔵院」と称しました。また、紅葉には「釜岩紅葉大禅定尼」の戒名を贈って供養しました。
この地蔵院が松巖寺の前身であり、今もこの鬼女紅葉の守護仏地蔵尊が安置され、千年の歴史を夙に物語っています。
その後、元和元(1615)年松巖芳祝禅師を安曇穂高の青原寺より迎えて開祖とし、紅葉の霊を祀った地蔵院境内に伽藍を建て、開祖の名をとり松巖寺と改称して曹洞宗の寺院となりました。
開祖は寛永2(1625)年、観音堂を建立、二世は観音堂内に西国三十三番の観音像を祀りました。
三世は山門、鎮守堂を造立、四世は正徳2(1712)年、本村に正福寺を開創、六世は享保15(1730)年に本堂を再建、九世は経蔵を建立、十四世は長野市に善松寺を分寺しました。
明治25(1892)年、本堂を焼失しました。
十八世が明治36(1903)年、本堂を再建、二十世は昭和38(1963)年本堂を入母屋に改修、昭和49(1974)年庫院を新築しました。
本堂の天井には、明治42(1909)年、児玉果亭の高弟、藤森紫僊の描いた四百八十八枚の花鳥の絵があります。
客室の天井には、平成8(1996)年完成の二百七枚の花鳥の絵があります。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H29.12.31
住所: 長野県長野市鬼無里320
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