御茶屋御殿(枚方市)
豊臣秀吉から徳川家光まで使われた御茶屋御殿
2018年05月01日
京・大阪間を結ぶ交通の大動脈、淀川と京街道を見下ろすこの地に豊臣秀吉が御茶屋御殿を建てたのは文禄3(1596)年のことです。三矢村に残る記録から秀吉が「御茶屋」を当地に建てたことが確認できます。伝承では、秀吉の家臣である枚方城主本多内善正政康の娘「乙御前」をここに住まわせたとも言われています。
京都伏見と大阪に拠点を置いた秀吉は、この間しばしば行き来していました。中間にあたる、ここ枚方の地にも立ち寄ったことでしょう。文禄5(1596)年の淀川堤防修築に際しては、対岸の大塚から枚方の工事の様子を上機嫌で眺めたとの話も残っています。
江戸時代に入ると、御茶屋御殿は幕府公用の施設となりました。元和9(1623)年には2代将軍徳川秀忠が、寛永9(1626)年には3代将軍家光が逗留したと記録に残されています。家光来訪の際には、秀吉が建てた「台茶殿」の脇に桁行5間、梁行3間の御殿が新築されました。「河内鑑名所記」には、桧皮葺と思われる三棟の建物が描かれている。
その後は利用されることもなく、「大茶殿」は承応3(1654)年老朽化により解体され、新築御殿がその用材の収納庫にあてられていました。しかし、延宝7(1679)年7月1日に起った火事によって新築御殿もろとも全焼し、以後再建されることはありませんでした。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.2.17
住所: 大阪府枚方市枚方元町
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