瑠璃寺・吉田のしだれ桜(舞鶴市)
細川幽斎ゆかりの「吉田のしだれ桜」がある瑠璃寺
2018年05月16日

瑠璃寺は、山号を金剛山と称する曹洞宗寺院です。
創建は、江戸時代中期村全体を焼きつくしたと伝えられる大火で、瑠璃寺も全焼し、同時に過去帳始め寺の由緒となる一切の書類が焼失しましたので不明な部分が多いですが、文化9(1812)年に書かかれた瑠璃寺過去帳によると、「当寺開山大渓和尚和上慶長14(1609)年」とあります。
かつては、鎌倉時代の元応年間(1319-1320)にさかのぼる寺縁起があったものと考えられます。
瑠璃寺の本尊は薬師如来ですが、本来曹洞宗の本尊は、釈迦如来なので、薬師如来が祠られているということは、大渓和尚以前から瑠璃寺が存在していたとの証拠ではないかと考えられています。
吉田瑠璃寺のしだれ桜は、樹齢300年以上と伝承されており、昭和52(1977)年には「古木と若木が織りなす開花期の景観すばらしさ」により、舞鶴市指定文化財となっていますが、天正8(1580)年から慶長4(1599)年にかけて、この地に幽閉されていた京都の公卿中院通勝を慰めようと、当時の田辺城主であり、通勝の歌の師でもあった細川幽斎が、京都の吉田山の桜を移し植えて,この地を吉田と名付けたのではないかといわれています。また、瑠璃寺開山の大渓和尚は、かの田辺龍城戦に細川幽斎を助けて、袈裟を旗印にかかげて城内に入り、共に戦った人物であることから、瑠璃寺と幽斎にはつよい結び付きがあったものと思われます。
一方、瑠璃寺の南東に当たる吉田の入り江には、年取島とゆう周囲二百米ほどの小島があります。この島の小庵が二人の会う場所であったといわれ、幽斎は舟で城と島を行き来したとみられています。ある年の大晦日に二人は夜が更けるのも忘れて歌に興じ、ついに元日をむかえてしまい、年取島と名付けたと伝えられています。また、その時幽斎が詠んだ「藻塩草かき集めたる跡絶へて、ただ年取の名のみのこれり」と、以前からあった地名の「トットリ」を読みこんで、「年取」の字をあて、風流を示したのではないかとも考えられています。
このようなことから、瑠璃寺と年取島と中院通勝、細川幽斎は一連のものと考えるのが自然のようで、その鍵を握るのが「吉田のしだれ桜」かもしれません。
平成15(2003)年、当寺しだれ桜の故郷とおもわれる、京都吉田山の吉田神社と縁あって、友好の関係が結ばれ、平成16(2004)年2月、古木のしだれ桜からとった、穂木を贈り、吉田山大元宮の他に里帰りしました。
(現地配布説明資料より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.4.1
住所: 京都府舞鶴市吉田170
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