六道の堤(伊那市・旧高遠町)
江戸時代の末期、嘉永元(1848)年高遠藩主内藤頼寧は窮乏する藩財政を打開すべく、家臣の池上三右衛門、清水兵作らに新田開発を命じました。計画は野笹村栗幅(現、伊那市高遠町長藤)の藤沢川から引水し、鉾持桟道の脇を隧道で通過させ、芦沢に出て笠原を通り、六道原に至る約10kmの新しい井筋(水路)を開削するものでした。同年3月着工し、10月25日に完成、26日に通水しましたが、当初はこの「六道の堤」の建設計画はありませんでした。
工事の最中、上大島村(現、伊那市美篶上大島区)より名主の利右衛門と村役人を代表とした六道原開発の陳情書が出され、「六道の堤」の建設が決定され、さらに開削した新井筋沿いに新しい村が作られることになりました。
嘉永2(1849)年に始まった堤の工事には、広く藩内の領民が動員されました。他村より動員された百姓たちはうっぷんばらしに「あぁさんよ(三右衛門のこと)どうづけよ」と掛け声を繰り返し地固めをしたと言い伝えられています。
嘉永4(1851)年9月に完成し、新井筋によって六道原に開かれた新しい村は、藩主頼寧より「末広村(元伊那市美篶末広区)」と命名されました。
この堤の広さは約16,000平方メートル、現在も六道原に広がる水田33.5haを潤し、春になれば水面に映る満開の桜が、東西の南アルプス、中央アルプスの白い雪と美しいコントラストを見せてくれます。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.4.7
住所: 長野県伊那市美篶笠原
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