お局塚(南あわじ市・旧西淡町)
平家物語の哀話を今に伝えるお局塚
2018年07月30日
お局とは、平家物語にいう小宰相の局です。彼女は頭刑部卿藤原範方の女で、宮廷に仕え、禁中第一の美人という評判をとりました。平清盛の甥、通盛に見そめられ、3年ごしの純愛のロマンスの末に二人は結ばれたが、間もなく平家没落の悲運にあわねばなりませんでしたた。
寿永3(1184)年2月7日一の谷の戦いに、平家の大将軍三位通盛卿も湊川付近で討死しました。屋島に落ちて行く平家の軍船の中で、その悲報をうけた彼女は、悲しみにたえず、13日夜半、鳴門に近い春寒の瀬戸内に身投げして、亡き夫を慕い19歳の花の生命を絶ちました。一旦、船に引きあげられた麗人の遺体は従者達によって海底深く水葬されたといわれています。
謡曲「通盛」は、通盛と小宰相の局の鎮魂の物語です。武将として修羅道の苦しみに悩む通盛の亡霊と「夫と一つ蓮に迎えさせ給え」と佛に祈って投身した彼女の亡霊は、互いに死場所を異にして浮かばれなかった。しかし、鳴門の磯にきた旅僧の読誦する妙法蓮華経の功徳によって菩提をえたという物語です。
ここ多摩山一帯は、古来、平家落人が隠れ住んだ所と伝えられる。造立年代は明らかではないが「局が多摩」とよぶ所に七つの古墳があると文政8(1825)年の「淡路草」にも誌されています。それは、平家一門の局ら七人自決の墓と伝えて平家七塚とよばれてきました。その中心をなす塚は約5.5mの舟型に石積みされています。
明治初期、伊加利村別所氏によって、主従七人の幽魂を供養するために、七つの石積みの塚の上に、それぞれ一石五輪塔が安置されました。大正13(1924)年、地元の有志が七塚保存会を結成し、玉垣を造営し掃苔会を催しました。
昭和37(1962)年.有志によって、薄命の佳人小宰相の局の念願どおり平通盛の霊を招き迎える供養塔が建立されました。この石塔は、古い舟型の積石塚の上に帆をあげた形に造られています。これは法華経によって菩提をえたという相思相愛の二人と従者六人の霊を供養したものです。
(現地説明板より)
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.7.15
住所: 兵庫県南あわじ市伊加利
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