布引観音〔釈尊寺〕(小諸市)
布引観音の名で知られている釈尊寺
2018年08月24日
布引観音の名で知られている釈尊寺は山号は布引山、天台宗の寺院です。信濃三十三観音霊場の第29番札所にあたります。
奈良時代の神亀元(724)年又は天平20(748)年、聖武天皇の勅願で名僧として知られた行基菩薩が開山し、聖徳太子が自ら彫り込んだとされる聖観世音菩薩像を安置したのが始まりとされます。
天文17(1548)年に武田信玄が佐久地方に侵攻し、布下仁兵衛(堀ノ内城主)・楽厳寺入道(楽巌寺城主)と戦った兵火により多くの堂宇が焼失、布下氏と楽厳寺氏は領主である望月氏に従っていましたが、この戦いの結果、両氏は村上氏を頼り落ち延びました。
弘治2(1556)年に当時の望月城主である滋野左衛門佐が堂宇の再建を図ったとされます。
滋野左衛門佐とは望月信永(武田信繁の3男)の事で、実兄の望月信頼が死没した永禄4(1561)年に望月家を継いだため、時期か名が誤っていると思われています。
布引観音は天正10(1582)年に武田家が滅び、望月家が没落するまで庇護され、その後は小諸城の城主になった依田氏などに引き継がれました。江戸時代に入ると小諸藩主から庇護され、享保8(1723)年に火災により焼失後、翌年には当時の藩主である牧野周防守康明が再建しています。
観音堂宮殿は、正嘉2(1258)年の築で、岩屋の中に祀られており戦火を免れ、昭和24(1949)年に国の重要文化財に指定されました。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.7.24
住所: 長野県小諸市大久保2250
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