通称木嶋神社、蚕の社とも呼ばれる木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
2018年08月29日
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命を祀っています。
「続日本紀」大宝元(701)年4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社です。
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり、「蚕の社」もそれにちなんだ社名です。
この神社は、古くより祈雨の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」などの文献からうかがい知ることができます。
社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂しています。本殿の西側には四季湧水する「元糺の池」という神池があり、天保2(1831)年に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建っています。鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することができるよう建立されています。創立年月は不詳ですが現在の鳥居は享保年間(約300年前)に修復されたものです。
一説には景教(キリスト教の一派ネストル教約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと伝えられています。
例祭は、毎年10月10日が行われますが、夏季土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰があります。
市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果してきた秦氏との関連を含め、大変貴重なものとして昭和60(1985)年6月1日に京都市の史跡に指定されました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.8.1
住所: 京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50