西高木家陣屋(大垣市・旧上石津町)
旗本であった西高木家の陣屋跡・西高木家陣屋
2018年09月10日
西高木家陣屋は、旗本であった西高木家の陣屋跡で、石垣、長屋門等の建造物、石列・暗渠などの地下遺構が良好に残されています。また、膨大な古文書群が現存し、近世旗本領主の実態を示す極めて重要な遺跡です。
高木家は美濃南部駒野・今尾周辺(現・海津市)に勢力を張った土豪でした。関ヶ原合戦の功により、石津郡時・多良郷に4300石を与えられ入部し、江戸時代を通じて同地を旗本として支配しましました。西家(2300石)、北家・東家(各1000石)の3家からなり、「交代寄合美濃衆」として大名と同等の格式を許され、知行地に常時居住しながら江戸屋敷を有し、参勤交代を行いました。領地は美濃・伊勢・近江の3国が接する軍事・交通の要衝で、特に上方の非常事態に備えました。また、川通御用の役儀を担い、ほぼ江戸時代を通じて木曽三川の治水行政にあたる水行奉行を努めました。
陣屋は牧田川が形成した河岸段丘上に位置し、高位側に西高木家陣屋が、低位側に北家・東家の陣屋が隣接して営まれました。西高木家陣屋は伊勢街道に東面し、段丘崖を中心に石垣が構築され、埋門も整備された。北に上屋敷、南に下屋敷が構えられ、上屋敷西方には墓所が営まれました。
墓所には墓石42基が残り、18世紀後半から石製墓標を採用しながら先祖の墓の整備が勧められたことが判明しています。
近代以降、西高木家敷地は上屋敷を中心に縮小し、現在は明治年間建造の主屋と嘉永5(1852)年の下屋敷御門を移築した長屋門が残ります。(屋敷地内は非公開です)。
また、高木家関連の古文書群は10数万点にも及び、旗本や交代寄合の特殊な役割を知ることができる貴重な資料群です。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.8.10
住所: 岐阜県大垣市上石津町宮236
関連リンク
タグ
地図
関連情報