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今尾城(海津市・旧平田町)

市橋氏や竹腰氏の居城となった今尾城
2018年09月11日
カテゴリ : 岐阜県 > 観光 > 建物・史跡
今尾城のはじまりは、文明年間(1469~1487)といわれ、中島氏、高木氏らを経て、天正15(1587)年に市橋下総守長勝が1万石で入城しました。
長勝は、織田、豊臣を経て徳川家康に仕え、慶長5(1600)年7月、家康の上杉征討に加わり東国に進軍しました。
石田三成の挙兵に際し、福島正則の命を受けた長勝は、8月16日、松ノ木城(海津町松木)の徳永寿昌らと組み、福束城(安八郡輪之内町)の丸毛兼利を攻めました。
「美濃国諸旧記」によれば、2千余の軍勢を率いた長勝、寿昌らは、大樽川を挟んだ大藪村、大樽村(いずれも輪之内町)の戦いで、火を放って勝利したといいます。城を捨てた兼利は大堰城へ敗走しました。また、8月19日に高須城(海津町高須)を攻め、城主の高木盛兼を追放、東軍の勝利に貢献しました。
9月15日の決戦当日には、長勝は寿昌らと共に金屋(養老町)に駐屯し、南宮山の南端に陣を敷く西軍勢に備えました。
長勝は功績により、伯耆国矢橋城(鳥取県東伯郡琴浦町)に転封し2万石の大名となりました。常栄寺(平田町今尾)には長勝の正室の墓が残ります。
関ヶ原の合戦後、今尾城は一時的に幕府が支配しましたが、元和5(1619)年、尾張藩祖徳川義直の異父兄にあたる同藩付家老竹腰山城守正信の居城となり、明治維新までつづきました。
「濃州安八郡今尾村絵図」によると、幅の広い濠を三重にめぐらし西側には土塁(堤防)が築かれています。その内側に「御城屋敷」「書院屋敷」「役屋敷」が設けられましたが、天守などは無く、今尾陣屋とも呼ばれました。今尾小学校を中心とする周辺一帯がその遺跡とされ、周囲の水路などにその名残りを感じることができます。また、西願寺(東本町)の山門は、今尾城の門の一つを移築したものといわれ、海津市の文化財に指定されています。
江戸時代の今尾城主竹腰氏は、犬山城主成瀬氏とならぶ尾張藩の重臣でした。所領は、美濃国(岐阜県)と尾張国(愛知県)のうちで合計三万石を与えられ、江戸と尾張を行き来して代々の尾張藩主を補佐しました。幕末期、尾張藩内が佐幕と尊王に揺れた際、九代竹腰正富(正美)は佐幕派を支持して一時失脚しました。
慶応4(1868)年、同じく徳川御三家の付家老であった成瀬氏(尾張)・中山氏(水戸)・安藤氏(紀伊)・水野氏(紀伊)とともに明治新政府に働きかけ、立藩を許されました。今尾藩はわずか3年足らずで廃藩を迎え、敷地と建物の一部は今尾小学校に払い下げられて現在に至ります。
(現地説明板などより)

Photo Canon EOS M6
H30.8.10
住所: 岐阜県海津市平田町今尾4434

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