ジャンジャン穴(上郡町)
平経盛が隠れたといわれるジャンジャン穴
2018年09月26日
800年のその昔,平家と源氏が争い、一ノ谷の合戦,屋島の合戦,そして最後壇ノ浦の合戦は彼我入り乱れの大戦乱となり平軍は惜敗しました。
そのとき九死に一生を得た平経盛(平清盛の実弟)は家来数人を引き連れ小舟で瀬戸内の東方をめざし播磨の国の西の端,相生の入江に漂着しました。
落武者達は草を褥に木の根を枕とし人目を避けながら、小野豆に辿り着きこのジャンジャン穴を見つけて生活していました。
一方源氏の武士達は平家の残党を探し求めました。その折り谷川に茄子の蔕が流れて来るのを見つけたり,また鶏の鳴く声も聞こえてきました。
「人が住んでいる 探し出せ」経盛たちはとうとう見つけられました。時は寿永4(1185)年9月15日三位経盛卿は自害しました。(61歳)
経盛の亡き後家臣たちは遺骸を思い出の相生の浦や,屋島も眺望できる見晴らしのよい場所(この上の平家塚)に葬り,主を弔いつつ細々と暮らしました。
この洞窟の名前の由来は,中に向かって声をかければ,中から「ジャンジャン」と反響することから付けられました。
平家の落人の里として言い伝えられています。
この小野豆を後世に残したいために,高田地区連合自治会が主体となり,平成5(1993)年から平家塚やその周辺整備,さらにジャンジャン穴の復元をし,また組曲「平家郷」も作られました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS M6
H30.8.31
住所: 兵庫県赤穂郡上郡町小野豆
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