赤髭明神・郡上義民顕彰碑(郡上市・旧八幡町)
ホテル積翠園の敷地にある赤髭明神と郡上義民顕彰碑
2018年11月15日
ホテル積翠園の敷地に赤髭明神と郡上義民顕彰碑があります。
郡上八幡城の出丸跡に赤髭作兵衛の力石の遺跡があります。寛文7(1667)年、時の城主遠藤常友が郡上八幡城の大修築に際し城普請の使役が領内から多数奉仕した中に剣村(大和町剣)の作兵衛という若者は体格巨大、豪力群を抜き全身茶褐色の豪毛を有しみな赤ひげの愛称をもって人気の絶頂にありました。ある日作兵衛が吉田川の河畔から二個重ね九十貫余の大石を背負って登ってきたところを見まわりの奉行にその大力を賞せられ、感激の余り斃れました。
昭和40(1965)年8月、この稀代の好漢作兵衛の純情と豪力を讃え赤髭明神の祠を建立しましたが、参拝者があとを絶ちません。
宝暦4(1754)年美濃国郡上郡金森藩に大規模な百姓一揆が蜂起しました。この年8月10日、年貢加役に耐えかねて郡内130カ村から集まった2000余の百姓が城中御蔵会所に乱入して16カ条の要求を強訴することに始まりました。この一揆は宝暦8(1758)年12月幕府の裁断が藩主金森氏の断絶と首謀百姓の処刑を申し渡して幕を閉じるまで前後5ヵ年にわたって闘い続けられました。
この間藩庁側は厳しい弾圧と懐柔に腐心し百姓側も愁訴強訴を重ね固い団結を誓約しつつ直訴箱訴を敢行しました。この碑に写されている傘連判状は宝暦6(1756)年3月首謀51名が那留ヶ野に集まり署名して決死目的遂行の心底を固め合ったもので前後上下のわからぬよう円形に書かれたといわれています。ここに遠い先祖の苦闘をしのび不屈の精神を広く世に伝え永くその義挙を顕彰するため碑を建立しました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkIV
H30.11.10
住所: 岐阜県郡上市八幡町柳町511-2
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