観音崎砲台・三軒家砲台(横須賀市)
県立観音崎公園に残る観音崎砲台・三軒家砲台
2019年01月16日
観音埼灯台をとり囲むように、観音崎の台地に砲台の跡が残っています。
文化7(1810)年、徳川幕府は樺太出兵後の会津藩に相州側の江戸湾警備を命じ、会津藩は、観音崎、久里浜、城ヶ島に砲台と陣屋を築きました。
観音崎台場は、現在の観音埼灯台のある場所に文化9(1812)年に完成しました。
文政4(1821)年以後、浦賀奉行所によって管理され、その後、慶応4(1861)年から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は、海軍省から陸軍省へと引継がれ、昭和20(1945)年8月15日の終戦まで管理されました。観音崎一帯は明治14(1881)年に要塞となり、一般の人の立入りは禁止になりました。
観音崎砲台は、帝都東京と横須賀軍港を守るために、明治政府によって東京湾口部に日本で最初に建設された西洋式の砲台群です。日本の最重要防御拠点として、旧陸軍が明治10年代~20年代にかけて9つの砲台を建設しました。日清戦争、日露戦争のときには戦闘配備につきましたが、幸い実戦で発砲したことはありませんでした。その後、兵器の進歩や国際情勢の変化などによってお役御免となり、多くは大正時代に廃止となりました。
三軒家砲台は、観音崎の砲台群のなかでは新しい砲台ですが、27㎝カノンという当時最大の大砲を備えていました。 27㎝カノン砲台の隣には、側防用の12㎝速射カノン砲台も残っています。
関東大震災後に復旧工事を受け、昭和の初めまで使われました。砲座、地下弾薬庫、観測所、監視所、井戸跡、便所跡などの多くの遺構が残っています。観音崎に残された砲台群の中では,もっとも保存状態の良い砲台です。
Photo Canon EOS 5D MarkⅣ
H30.12.28
住所: 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1262
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