糟屋館(伊勢原市)
産業能率大学の校地は、かつて室町時代に関東地方で勢力をふるった上杉定正の「糟谷の館」の址と云い伝えられています。
校地及びその付近をタテハラ(立原)と呼んでいますが、これも館(タテ)のあった所からきている地名であろうといわれています。
校舎建設に先立つ発掘調査において、館の一部と思われる台地を東西に貫く大きな溝があることが明らかになり、又当時のものと思われる堀立柱の建物の址も発見されました。しかし、これが何の建物かは明らかにできませんでした。
上杉定正は扇谷上杉氏です。上杉氏は鎌倉府の執事として、又越後・上野・伊豆の守護にも補せられた名家であり、その分流も多いです。なかでも鎌倉における居館の所在地の名をつけた扇谷・山内の二家は有名です。定正の頃には河越城がその本拠地であったといわれますが、大庭城にも居住したこともあり、又糟谷の館にもしばしば立ち寄り風流を楽しんだともいわれています。
定正が勢力をふるった背景には、その家臣太田道灌の力がありました。
太田道灌は江戸城をはじめ、川越・岩槻などの諸城をつくり、また軍略に巧みな名将として知られています。
近臣の讒言にあって、定正に謀殺されましたが、その舞台となったのが、この糟谷の館であるといわれています。道灌の墓は、近くの洞昌院にあります。
(現地説明板などより)
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H30.12.29
住所: 神奈川県伊勢原市上粕屋
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